偽り 31 - 35


(31)
「緒方さん、早く!」一足先に行き玄関の戸を開け緒方を呼ぶ。
ヒカルは緒方の歩みが遅いので、訝しげに見た。
物思いに耽っている緒方は、ヒカルには不気味に見える。
緒方が何を考えて、自分たちに付き合っているのか分からないからだ。
子供が産まれてからずっと、緒方さんはオレ達に関わってきた。
囲碁関係の人には、誰にも知らせていなかった子供の誕生に緒方さんは、
なぜか聞きつけ生まれた翌日、病院に見舞いに来たのだ。
病院から退院する時でさえやってきて、なぜかそのまま親戚付き合いの
ようになってしまった。
頻繁にやってきては、子供の面倒を見てくれていたので助かったことも
在ったが。(と、いっても上の子だけだけど)
ヒカルは、つい一昨日みてしまった光景を思い出して一気に気分が
下がるのを感じていた。
棋院からの帰り道、夕方から夜になろうとする微妙な色合いの空の下、
門の前で緒方と自分の娘がキスし合っていたからだ。
あれを見た時の衝撃は、今でも忘れられない。
”光源氏計画!?ロリコン?ふざけるなよ”
一瞬自分が怒りでパニックになった。
緒方さんは独身だ。たとえ相手との間にすごい歳の差があろうと本人達の
自由だし世間的にはあまり問題じゃないかもしれない。
オレも二人がいいって言うのなら思う所はあるが、真剣なら許してやっても
いいと思っている。
でも、緒方さんは十中八九塔矢と付き合っている。
それに、余所にも絶対女がいる。それも複数の・・・。
その緒方がまさか自分までも手中に治めようとは、思っていないヒカルは、
これからの愛娘の行く末にため息が出るのであった。


(32)
塔矢家では、アキラが倒れたという連絡を受け騒然となっていた。
救急車を呼ぼうかと思ったが、どうやら気を失っているというだけで
脈も呼吸も正常ということから、ずっとお世話になっている掛かり付けの
医者の往診ですますことにした。
医者はアキラに触診や栄養剤の点滴を施した後、顔をゆるめて
「過労でしょう・・・このところ忙しかったようですし」と告げた。
明子と芦原は、その言葉に安堵しお互いに笑顔で顔を見合わせる。
今日、行洋は知り合いに呼ばれ留守にしている。
アキラの容態がかなり悪いのなら呼びつけているのだが、
たいしたことないのなら無理に心配させることはないと明子は思った。
身支度を整えて立とうする医者に「ありがとうございます」と明子は
礼を言うと、玄関先まで見送った 。
アキラの側には、芦原がいてアキラの穏やかな寝顔に顔を綻びさせた。
「びっくりさせるなよ、アキラ」芦原は、そういうと頭を撫でながら
つぶやいた。ただ事じゃない倒れ方だった。
彼には何かあるのだろうか・・・それは昔思っていた疑問でもあった。
でも、自分には絶対弱みを見せることは彼はしないであろう・・・。
オレじゃアキラの助けにはならない。そう思うと芦原は自分に歯痒かった。
誰か、彼を幸せにしてほしい。
芦原は、眠るアキラの頬を手の甲でさすりながらつぶやいた。


(33)
蛍光灯の眩しさに、アキラは顔を顰めた。光を手で遮る。
やがて徐々に意識が覚醒した。
人の気配を感じ横を向くと、心配顔の芦原がこちらを見ている。
「芦原さん!」慌ててアキラは身を起こそうとした。
「あ!そのまま、そのまま」
芦原はアキラの肩に手を添えると横になるように促す。
「すみません、ボク迷惑かけてしまったようですね」
天井を見据えてアキラは、つぶやくように云った。
芦原は泣きたくなってくる。
「いいんだよ、アキラ・・オレ達友達だろ!それにアキラは、
日頃心配をかける事しないんだから、こういう日もあっていいよ・・」
アキラの歳でこういう事をすると失礼だとは思うが、芦原はアキラの頭を
撫でながら云う。
「ありがとうございます。芦原さん」
アキラが礼を言うと芦原は、はにかんだように笑った。
撫でる感触が気持ちいい。アキラはゆっくりと瞳を閉じる。
昔の記憶・・・はるか昔、同じ様な事をしてもらった事がある。
具合が悪くなった自分をこうして撫でてくれた。あの人は誰だったろ?。
父ではない。優しくて大きな手だった。
「でも、今日は焦ったよ・・・安心してゆっくり休め・・・」
芦原さんの声色が優しくて心地良い。撫でてもらう感覚や優しい声に
アキラの心はかなりリラックスし、意識が微睡み始めた。
ゆっくりゆっくりと意識が遠のく・・・。
やがて小さな寝息が、聞こえ出した。


(34)
アキラが眠ったことに気づいた芦原は、頭から手を退けるとほっとした顔で
アキラを見た。さっきより顔色がずいぶんいい。
「さて、我が家に帰るか」もう朝まで眼が醒めることはないだろう。
芦原は腰を上げると、側にあった鞄に手をかけた、その時。
ピロロロ♪・・♪・・ピロロロ♪・・・♪・・・♪
携帯の着信を告げるメロディが部屋中に響き渡る。
聞いたことのあるメロディ・・・確かアキラの携帯の!「わあ!」
静かな部屋に響くそれはそんなに大きな音ではないが、せっかく寝付いた
アキラを起こすには十分な音量であると悟った芦原は、音の出所である
携帯を探した。
”アキラの鞄の中だ!”一瞬躊躇したが鞄を開け、手を入れる。
底の方にある鳴り続ける携帯をおむろに掴むと、表示した名前を見た芦原は
弾けるように出た。
「もしもし!緒方さん!?」
『・・・・・・・・・・・』
出た相手が自分の望む人間ではなかった事に、たぶん困惑したのだろう。
沈黙の中、相手が息を呑むのが分かった。そして・・・。
『おまえ・・・芦原か?』


(35)
緒方はずっとヒカルの家に居た。熱のため学校を早引けした
腕にいる少女は、安静にして寝ていれば直るということで
医者には見せなかった。が、直ちに処置が要るだろう。
夕方、部屋に娘を運び入れると、すぐさま救急箱を手にとった。
緒方は背広を脱ぎヒカルの家に常備してある座薬を取ると、布団の中に
腕を入れ脚を取り膝を立たせ、下着をずらし慣れた手つきで挿入を果たす。
緒方にとって、菊の位置なんて見なくても把握済みだったが、
ヒカルは、狼狽えながらもそのスムーズな作業に感心する。
布団をはだけさせないで見えづらいままなのに、正確にやり遂げる緒方に。
だが同時に年頃の娘にやるには、あまりにも好ましい行為ではないので、
少々閉口せざるおえないヒカルだった。
じっと観察するようなヒカルの視線に気づいた緒方は、意地の悪い笑みを
浮かべ「どうした?おまえが熱に浮かされる時は、オレがこうして座薬を
入れてやるよ」とセクハラまがいの事をいった。
「オレは結構!熱が出ても飲み薬で治すよ」腕組みをして頬を膨らます。
そのセリフと仕草に緒方は笑い出す。「おまえはからかうと楽しいな」
「カァ−−−−」と顔に火が灯る。
ヒカルは、緒方にからかわれた事を知り、益々不機嫌になった。
「そんなに膨れるな」「冗談だ」
おでこに濡れたタオルを置くと、緒方は一息ついたのか部屋を出た。
時計をみたヒカルも慌てて部屋を後にする。
すると、ヒカルのジーンズのポケットから携帯の着信の知らせである振動が
流れた。



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