誘惑 第三部 31 - 35
(31)
シャワーの栓をひねってお湯を止めると、アキラは壁に手をついて、肩で大きく息をした。
それからゆっくりと息を整えてから目を開いた。
ふらつく足元をこらえながら身体を拭いていると、ノックの音が聞こえた。
「…塔矢、大丈夫か?」
小さなドアの隙間から心配そうに覗き込んだ顔に、
「何だ?やっぱり一緒に入るのか?」
ふざけた様に言ってやると、ヒカルは真面目な顔で正面から睨みつけてきた。
「おまえ、そんな風に笑って誤魔化せるとでも思ってるのかよ。
さっきだって、今だってふらついてて、顔色だってそんなに悪いくせに。」
本気で怒りかけているヒカルが嬉しくて、アキラはここは素直になってみようかと思う。
「ごめん、心配かけて。ありがとう。」
と、ヒカルに微笑みかけて、手渡された服を素直に着込み、ヒカルにもたれかかるように歩いて部屋へ
戻った。そして、コンビニで買ってきたと思われる食糧が並んでいる小さなテーブルの前に並んで腰を
下ろすと、アキラはヒカルの肩に頭を乗せて、ふうっと息をついた。
「やっぱ、おまえ、疲れてるんだろ。今日は一日休んでたほうがいい。」
「うん。」
「今日ぐらいは何の予定もないんだろ?」
「うん。」
「とりあえずさ、メシ食おう?何が食える?何が食いたい?」
「う…ん、」
「食欲ないのかも知んないけどさ、ちゃんと食べなきゃダメだぞ。そんなに痩せちまって…」
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小言を言うようなヒカルに、アキラが思わず笑いを漏らすと、
「何、笑ってんだよ?」
ムッとした口調でヒカルがアキラを軽く睨んだ。
「いや、キミにお説教されそうだな、と思ったらその通りだったからさ。」
「当たり前だろ。大体、おまえ、バカか?
こんなにまともに歩けないくらいへばってるくせに、だから…」
「だから…何?」
「だから…だから昨夜だってやめようって言ったのに…!」
「それは、無理だな。ボクの方がしたかったんだしね。それに、知らないのか?進藤、男の場合
はね、死にそうになると余計に性欲が強くなるもんなんだよ。」
「おまっ…!なんて事、言うんだよ…!」
「ホントだよ。生存本能っていうか、子孫を残そうっていう本能が働くらしいね。でもまあ、キミと
ボクとじゃ子供なんて出来るわけないんだから、意味がないのかもしれないけど、」
それから、突然楽しいことを思いついたようにクスクスと笑った。
「ボクはキミが男でも女でもどっちでも構わないんだけど、そうだね、子供を作れないって思うと、
ちょっと残念だな。キミが女の子だったら、絶対ボクの子供を産んでもらうのに。」
「おまえ…なに、考えてんだ?」
「ヘンかな?きっと可愛いだろうに、ボクと進藤の子供。そう思わない?
だからもしキミが女の子だったら、さっさと結婚して子供を作って、キミをボクだけのものにして
やるのにな。避妊なんかしたくもないしね。」
何だか妙に身勝手で理不尽な事を言われてるような気がして、ヒカルは脹れ顔で文句を言った。
「おまえ…それじゃ、オレの人生滅茶苦茶じゃないか。」
「どうして?」
「だって、そんなトシで子供なんかできちゃったら何にもできないし…学校だって…」
「学校なんて今だって行ってないじゃないか。」
と、言われると言葉に詰まる。
「あ、でも18にならないと結婚はできないんだっけ。それまで待つのは辛いなあ。」
「つーか、マジに考えんな、そんな事。どうでもいいから、さっさと食え、馬鹿野郎!」
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「それじゃあ、ボクが女の子だったらキミはどうする?」
塔矢が女だったら?
デザートに、と、やっぱり買ってきたプリンを食べていたヒカルはスプーンを銜えたまま考えた。
塔矢が女だったらどんなだろう。
……ダメだ。
今だってこんなにキレイなのに、女でこれだけキレイだったらヤバ過ぎる。
それこそ周りがほっとくはずがない。それこそ、和谷だけじゃなくって伊角さんだって越智だって
社だって門脇さんだって、そう、芦原さんとか冴木さんとかだって、皆、ほっとく筈ないじゃないか。
「…ダメだ。」
「…?」
「ダメだ。おまえを野放しになんかできない。
今だっておまえはほっといたらフラフラとあっちこっちの男に引っかかりそうになるのに…」
「…進藤!」
「違うのか?」
「そんな…あっちこっちなんて事、ないだろ!」
「もしおまえが女だったりしたら、危なくって目が離せないよ。
おまえってば自分がどう見えてるかなんて全然わかってないんだから。
おまえ、自分がどんだけ綺麗で周りがどんなふうに自分を見てるかって自覚、全然ないだろ?」
「またか?キミは何かって言うと、ボクのことを綺麗だって言うけど、そりゃ、悪い気はしないけどさ、
でもそんな事言うの、キミだけだよ。自覚って何だよ?キミの主観だけで客観的な話じゃないだろ。」
「そーゆーのが自覚無いっていってんだろ!
そりゃあ、本人に向かっては言わねーだろうがよ、一度ちゃんと鏡見てみろよ。
その上ぱっとみは真面目でご清潔でエッチな事なんか何も考えてません、なーんて顔してるくせに、
ホントはスケベで淫乱でエッチ大好きで、しかもヤるだけだったら誰でもOKなんて尻軽女、危なくて
野放しになんかしとけないよ。」
「進藤っ!!いくらなんでもそこまで言われるほどの筋合いは無い!!」
「違うって言えんのかよ?」
「少なくとも、誰でもOKなんて訳じゃあ、ない。」
少しだけ拗ねたような口ぶりでアキラは言った。
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「じゃあ、和谷とはなんでなんだよ。」
そう問われると、アキラはぷいと顔を横にそむけた。
「ちょっとでもあいつに興味があったとか、好意があったとかじゃ、ないよな。むしろ逆だよな。」
「あれは、キミが悪いんだ。キミがボク以外の相手と仲良くなんかするからさ。」
「あてつけと嫌がらせでやれるなんて最低だぜ?」
「そうだよ。最低だよ。わかってるよ、そんな事。
どうして、今更、そんな話、蒸し返すんだ。」
「もう二度とそんな事させないためさ。決まってるだろ。」
ムッとした顔でヒカルを見ていたアキラは、突然、にやっと笑って、挑戦的にヒカルを見た。
「でもさ、キミが最初に言ったんだよ?
あいつと仲良くしろって、あいつに笑いかけてやれって。違う?」
ムカツク。何だってコイツはこんなにムカツクんだ。
「ああ、それに、そう言えば、この間、芦原さんとキスしちゃった。」
「塔矢、おまえ…」
「キミとの事で落ち込んでたときに芦原さんが飲みに連れてってくれて、
酔っ払って潰れかけて…つい。」
「つい、だってぇ…?」
「でも、さすがにキスだけだよ。それも触れるか触れないか、くらいの。冗談みたいなもんだよ。」
「おまえ…本当に節操無しだな…。」
「キミがいけないんだ。キミがボクを一人にしとくから。」
「塔矢、おまえいー加減に…」
「だからキミは、そんな事ができないように、ボクをずっと見張っていればいい。見張っててくれる?」
呆れる。
何を甘えた事を言ってるんだ、こいつは。
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「見張っていて。目を離さないで。ずっと側にいて。ボクを束縛していて。」
後ろから抱きつくように手を回されて、耳元で甘い声でねだられて、ヒカルは首筋から耳まで真っ赤
になった。
「なに?照れてるの?」
アキラが可笑しそうな声でいいながら、耳の付け根にチュッと音をたててキスした。
「可愛いね、進藤。」
顔から火が出そうになって、手を振り回してアキラを振り解いた。
「ちっくしょう、やめろよ、カワイイなんて言うの!」
「どうして?」
「男に向かって言う言葉じゃねぇよ!」
「だったら、」
言いながらもう一度ヒカルを引き寄せて、
「ボクに可愛いなんて言わせないようないい男に、早くなってくれよ。」
そうしてもう一度首筋に軽くキスした。
「楽しみに待ってるから。」
「…畜生、オマエなんか……いいから、もう寝ろ!憎まれ口叩いてないで!」
「ハハハ、」
笑いながらアキラはヒカルの肩に寄りかかり、ヒカルに体重を預けて目を閉じた。
身体にかかる重みと、呼吸の様子に、やはり通常でないものを感じて、ヒカルは、アキラをちゃんと
休ませてやらなければ、と思う。
「塔矢、」
名前を呼びかけ、髪を撫でながらヒカルは言う。
「やっぱり、身体、キツイんだろう?ちゃんと休もうよ。ベッドに行こう?な?」
「…うん、」
ゆっくりと大儀そうに目を開けたアキラの顔を覗き込んで微笑みかけ、それから彼の身体を気遣い
ながら立ち上がらせて、支えるようにしてベッドへ連れて行った。
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