平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 31 - 35


(31)
ヒカルは、人通りもほとんどない、寂れた一角に連れてこられた。
アキラと二人きりになって正面から見つめられると、居心地が悪くて仕方がない。
「元気か?」
そう短く問う賀茂アキラに、ヒカルこそ同じ言葉を返してやりたい。それほどにアキラの
顔色が悪かった。
「お前こそ、なんか具合悪そうだぞ」
「僕は君に訊いている」
「俺は、おまえに心配されるようなことはない」
言いきったヒカルの前で、アキラの瞳が怒りに揺れた。
「なら、そんな風に遠くを見てるような顔で、ふらふら歩くな」
なんで、おまえにここで怒鳴られなくちゃいけないんだと、ヒカルは腹がたって
きた。
「君は、自分がここにいて、僕がここにいるということをわかっているのか?」
「お前が何言ってるかわかんねぇよ」
「君の 目が、もうここにいない人ばかりを追っていて、肝心の僕のことは眼中に
 ないということだ」
ヒカルは黙った。
「僕は君の力にはなれないか?」
内裏の廊下を、晩秋の風がヒュウヒュウと音を立てて駆けてゆく。
「僕はそんなに頼りないか?」
「頼りないとかそういう問題じゃないだろ」
「じゃあ、なんで僕には何も言ってくれないんだ」
(お前にみっともなく泣きつけとでもいうのかよ?)
無理をしているのはヒカル自身もわかっている。平気なはずがない。
失ったぬくもりは、あまりにも温かすぎた。
(だから、それを越えるために――忘れるために頑張ってるのに、こいつはなんで
 わざわざ俺を追い立てて、それを思い出させるようなこと言うんだよ)
ヒカルは、アキラの真っすぐな視線を受け止めかねて顔を背けた。


(32)
心配してくれているのは分かるのだ。だが、それがどうしょうもなく鬱陶しいときも
ある。
「おまえさ、俺のことばっかりだな」
「当たり前だ。僕は君の友人だ。少なくとも僕はそう思っていた。でも、君は…」
「佐為も、おまえの友人じゃなかったのかよ」
今度はアキラが口ごもる番だった。
「俺だけじゃない。佐為だってお前の友達だったろ? 仲良かったろ! なのに、
 あいつのことはもう忘れちゃったのかよ!」
「…………」
「あいつは一人で誰にも見取られずに死んだ。それについては何とも思わないのか?!」
アキラは答えられなかった。実際に佐為の入水の報を聞いてからこっち、考えていた
のはヒカルのことばかりだったからだ。ヒカルがその知らせを聞いてどんな思いを
するか……どんなに悲しむか……。
「俺の事はいいから」
人気のない、その内裏の回廊に、ヒカルの言葉はするどく響いた。
「今は佐為の為に泣いてやってくれ!」
アキラは、まるで殴られたような顔をして、そこに棒立ちになった。
ヒカルは、目に理由のわからない涙をためて、嵐の勢いでアキラの横を通りすぎ、
立ち去った。


控えの間に戻ると、岸本のきつい一瞥がとんできた。
その目線の激しさにひるんで、ヒカルは一瞬足をとめてしまった。
戸惑いながら部屋の一角に座ると、和谷がそっと耳打ちしてきた。
「おまえ、あいつに睨まれてるから気をつけた方がいいぜ」
和谷の話によると、彼は弱小貴族ながら、この秋の除目でようやっと従五位の位を
賜って昇殿を許されたのだそうだ。せいぜいが六位の官位を与えてもらうのがやっと
の弱小貴族にとって、内裏の殿上に上がることを許される五位以上のの位は垂涎の的。
その位を岸本は猛勉強に猛勉強をかさね、実力で手に入れ、やっと昇殿できたのだ。
ヒカルも納得する。その岸本にとって、六位の位しかもっていないのに、特例で
昇殿を許され、内裏をうろうろしているヒカルは少し、いや、かなり目障りなの
だろう。


(33)
閣議が終わって、伊角が再びヒカル達のいる部屋に戻ってきたのは、二刻もして
からだった。
今日の議事の結果について、伊角と門脇、和谷が話しあっているのをぼんやりと
聞き流しながら、ヒカルは以前、アキラに『佐為は負け犬だ』と言われた事を思い
出した。内裏での政争で破れて死の世界に逃れたのだと言われたそれに、今更、腹が
たってきた。
(佐為の事、よく知りもしないくせに)
ヒカルにはわかる。御前対局で不正者の汚名を着せられ、屈辱と絶望に死を思うほど
打ちひしがれた佐為を、最後に沼のほとりへと突き動かしたのは、きっと怒りだ。
碁を権力のために踏みにじった者に対する激しい怒り。内裏の人々が噂するような
悲嘆や、世への憂いではない。佐為は碁の事で怒ると見境いがなくなるのだ。ヒカルの
ことを思い出すこともできなくなるほどに。
伊角が立ち上がったのを目の端に捉えて、ヒカルも立ち上がった。
(しょうがない奴だよなぁ、ほんと)
秋風吹き抜ける渡り廊下を、伊角の後をついて歩きながらヒカルは考える。
あの穏やかで、時には怜悧なほどに静謐とした趣を漂わせる藤原佐為という人物が、
その内面に驚く程の激情を抱えていたことに気付いた人はいったいどれほどいるの
だろう。
この秋風を彷彿とさせる表情の奥に隠されたあの野分のような気性の激しさを
きっと誰もしらない、
賀茂も、あかりも。内裏の貴族や女房はいわずもがな。
佐為と本気の碁を打ちあった藤原行洋がせいぜいその表層に触れたことがある
程度だろう。ヒカルだけだ、知っているのは。
特に自分が好きだとこだわる事に関しての、かの人の心の寄せようは時にヒカルも
驚くほどで。


(34)
碁盤に向かって石を打ち込むときもしかり、あるいは自分を閨で抱くときもしかり。
そして、ヒカルはそんな佐為を知っているのが自分だけだということが嬉しかった。
佐為がそんな風な一面を隠さずさらすのは、自分に対してだけだという、くすぐっ
たいような優越感。
普段、姫事の最中は過ぎるほどに優しい佐為が、ふとした拍子に豹変し、その
激しい一面を見せることがある。だからそんな時にはヒカルは思うのだ。
そんな佐為をもっと見せて欲しいと。遠慮なんかすることないのにと。
それは一種の独占欲だったのかもしれない。
――誰も知らない俺だけの佐為。
しっとりと汗にしめる佐為のなめらかな背に腕をまわす自分。
腕の中のこの美しい人は、確かにヒカルの物だ。
ヒカルは佐為のものだったが、佐為もまた、ヒカルのものだったのだ。
恋のような友情のような、不思議なものに繋がれた関係。ただ愛おしさだけがそこに
あった。
考えながらヒカルは、口角を少し上げ無意識に微笑んでいたらしい。
「何を思い出し笑いしてるんだ?」
伊角の声に、我にかえる。
「あ、うん。ごめん。なんでもない」
敬語もへったくれもないその言葉遣いに、また岸本のきつい目線がヒカルにささり、
その様子に、後ろで和谷がクックッと忍び笑いを漏らす。
一行がとある渡り廊下の一角にさしかかった時だ。
渡殿に寄り添うように植え込まれた背の低い常緑樹。
椿に似ているが、椿よりわずかに小振りなその葉にまぎれて沢山の円い蕾が
咲き時を待っていた。
だが、その中に一輪だけ、すでにほころび、薄桃の可憐な花弁を広げているものが
ある。


(35)
小振りな椿にも似たその花は山茶花だ。
「気の早いのがもうひとつ咲いてるなー」
和谷が言うのを受けて、少しぼんやりとその花を眺めていた伊角がその一輪に
手をのばす。
皆が、あっと、止める間もなく、伊角はそれをたおって手にしていた。
そして、その手を迷うことなくヒカルの耳元に差し伸べ、そこにその可憐な桃色
の花を挿す。
「うん、近衛にはやっぱりこの色が似合うな」
ヒカルの胸がどきりと大きな音をたてた。
「伊角さん……」
和谷が、弱りきった声で頭を抱えていた。
「そういうのは、女に言ってやれよー」
門脇も呆れたように、伊角とヒカルを見比べている。
しかし、ヒカルはそれを気にするどころではなかった。
わずかに顔を上げると、伊角と真正面から視線があってしまった。
伊角は切れ長の目を少し細めて、嬉しそうにヒカルを見ている。
なぜか体が動かない。
その、少し表情を緩めただけの、穏やかで優しい笑顔が、ヒカルの心にふわりと
触れてきた気がした。
自然と頬が熱くなるのがわかった。



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