敗着─交錯─ 31 - 35


(31)
「ヒカル、あんた塔矢クンにちゃんと連絡してるの?昨日も来てくれたのよ」
”塔矢”という名前にぎくりとする。
「あっああ、うん、するよ、してるよ…」
母親は適当な返事をする息子を見てため息をついた。
「本当に何度も訪ねてきてくれて…。棋士って人数が限られてるんでしょう?同年代のお友達との付き合いは大事よ。礼儀正しい子なのに…」
「うーん…」
うるさそうに耳を掻く。
「…何か話しにくい事情があるのかもしれないけど、」
「もうっ、わかったからほっといてよっ!」
急に出した大声に驚いた母親を残して二階へと上がっていく。
―――話しにくい事情?そうだよ、オレと塔矢は――
そこまで考え、部屋に入るとぺたんと床に座った。
今の状況をどう説明すれば良いのだろう。

緒方に抱かれる前までは、塔矢のことが好きだった。大事な存在で、愛しいとさえ思った。
だからこそ、緒方との関係を断ち切らせたかった。
がっくりとうな垂れると、小さくうめいた。
「ごめん、塔矢、オレ――」
どうしていいか分からず、クッションを顔に押し付け涙がこぼれないようにした。


「あ、塔矢くん。今日は何か用事かな?」
「はい、少し所用で」
軽く会釈をし奥へと進む。
若手棋士の中でも特別視されている自分には、棋院の人間はある種の敬意をもって接してくる。
だが今はそんなことはどうでも良かった。
森下門下の研究会は、今日ここで開かれる予定だ。
「和谷、いくぞ」
聞こえてきた声の方向へ振り向いた。
自分より少し年長であろう少年が、後ろに続く「和谷」を呼んでいる。
彼が、和谷か――。
確信すると、何食わぬ顔で近づいて行った。


(32)
(ゲッ、塔矢アキラ!)
和谷の頭の中に、いつぞやのプロ試験での一件が蘇った。
大事な試験を休み、ネット碁で遊んでいたコイツ――。
しかもその試験に自分は落ち、塔矢はあっさりとプロ入りを決めた。
(いけ好かねーヤロー。無視無視…)
わざと顔を見ないようにすれ違おうとした時、
「君が和谷くん?」
いきなり声をかけられた。
「え、そうだけどっ」
驚いて塔矢を見た。若手棋士の中でもダントツの成績。未だ負け知らずの一つ年下のその少年は――、やはり迫力があった。
「進藤を知りませんか?」
「進藤?」
行動とは裏腹な礼儀正しい言葉遣いに気圧されながらも、なぜ自分が話しかけられたかを理解した。
(やっぱり進藤かよ…)
塔矢アキラがライバル視しているという噂の自分の友達。悔しいがその噂はほぼ事実だという確信を周囲は持ち始めていた。
「今日はアイツ、用事があるとかで来てねーぜ」
「…そうですか…」
ひどく落胆した様子が顔に表れていた。それでも顔を上げ、訊いてきた。
「あの、和谷クンの家に泊まりに行ってるって――」
「は?進藤が?何だそれ。アイツ俺ん家に泊まりに来たことなんて一度もねーぞ」
「え……?」
見る見るうちに表情が強張っていく。
「おまえが借りてるあの部屋にもか?」
冴木が付け足した。
「ぜーんぜん、一回も来たことない」
「…そう…ありがとう…」
見た目に分かる落ち込みようで、ふらふらと夢遊病のように棋院の外へ出ていった。
「――何でえアイツ、変な奴!」
自分が塔矢を嫌っていることを知っている冴木が、隣でクスクスと笑っていた。


(33)
どこをどうやって来たのか、とにかく自分はタクシーに乗っていた。
いつもは緒方の車で来ていたこの道。
「そこを左へ」
心臓が高鳴っていた。
(一度も泊まりに来たことがない)
そのことだけが頭を占めていた。
だとしたら、進藤――。
疑ったことはあるが、まだ心のどこかで進藤は自分のものだという思いがあった。
いや、進藤が自分以外の人間に心を奪われるハズがない。
これは半ば思い込みだった。しかし自分には自信があった。
執拗なまでに追いかける自分を避けるのも、緒方と関係したことに対して引け目を感じているからだろうと納得していた。
だとすれば、なおさら会って伝えたかった。急ぎすぎた行為と、自分のしたことで進藤を追い詰めたことへの謝罪。
そして何があっても変わらないと断言できる進藤への想いがあった。
「…あそこに見える、あの建物です」
とにかく行くだけ行ってみて、今日はすぐに帰ればいい。
緒方と自分は、もう以前のような関係ではないのだから――。

「お釣は結構ですから…」
タクシーを降りると目的の部屋を目指す。
一応は確かめておきたかった。
緒方が「あれきり」と言うのならば、それもあるのだろう。自分が勘ぐり過ぎていたに違いない。
だけど、念のために調べておきたかった。
進藤が、どこへ行っていたのかを。


(34)
エレベーターが上昇していく中で、じっと考えた。
もう進藤は家に帰っているだろうか。
(今日も留守かな…。それとも、いたとしても会ってはくれないだろうか…)
腕時計を見て、このマンションから進藤の自宅までの距離を思った。
(…これから行っても、なんとか失礼な時間にはならずに行けるな…。)
頭の中は、次第に進藤の家に行くことで占められてきた。
どんな手を使ってでも、進藤を問い詰めたくて仕方がなくなってきた。
ドアの前で立ち止まり、ポケットに手を入れ探ると何も入っていないことを思い出して苦笑した。
緒方の部屋に通っていた頃の癖だ。
自分も幼かった。
兄弟が一人もいない自分にとって、緒方は兄を超えた存在だった。名門とされる父の門下でも、めきめきと頭角を顕わしていた頃の彼。
まだ「恋」というものさえ知らない自分には眩しく映った。
――そして、抱かれた。
当時はそのことに微塵ほどの疑問も抱かなかった。経験豊富であろう緒方の性戯に耽溺し、夢中で追いかけた。
だけどそれは進藤との出会いによって微妙に変化していった。

暗がりでも見えた進藤の潤んだ瞳。自分が泣かせているのになぜか嬉しかった。
稚拙な愛し合い方だったが、それは自分の心の中で崇高なものにまで昇華していった。

呼び鈴を押しかけて止め、ドアノブに手をかけた。
「……、」
息を殺して回す。
鍵はかかっていなかった。
少し錆びた音を立てて、ゆっくりとドアを開く。
足を踏み入れ、そっとドアを閉めると玄関に並んでいる靴が目に入り、その一つに「あっ」と声が出そうになった。


(35)
「アキラ…、」
驚いた表情で緒方が立ち上がった。
「緒方さん……」
怒りで声が震え、言いたいことの半分も言えなかった。
「あなたは、まだ進藤を――」
緒方に詰め寄ると、飛びかかりそうな自分を抑え問いただした。
「……何しに来た…。お前とは切れたはずだぞ」
「そういう問題じゃないっ!!」
「…んだと…、このガキ…」
目の据わった緒方と対峙した。
「帰れ…ここはオレの部屋だ」
「緒方さん…あなたという人は…っ…」
進藤のことに関しては、例え相手がこの人であろうとも一歩も引くつもりはなかった。
その時――、
「カチリ」と音がして部屋の扉が開いた。
「塔矢…」
「進藤!」
懐かしい顔だった。避けられても、なお追いつづけた。
「帰ろう!進藤!」
駈け寄り思わず抱きついた。
そして説明するつもりだった。
もうここへは来なくて良いと――
後は自分でけりをつけるつもりでいた。

「進藤、ゴメン、ボク…」
再会できた嬉しさと、謝ろうとする気持ちと抑えきれない感情がない交ぜになり心を乱した。
「進藤…」
ヒカルを抱きしめた腕に力を込めその匂いを一杯に吸い込む。
(もう離れたくない――)
避けられつづけ、会えない時間を存分に味わった自分はもう進藤なしでは生きてはいけなかった。そう感じていた。
(このまま二人で帰ろう――そして、最初からやり直すんだ)
今やっと捕まえたヒカルをしっかりと抱きしめた。
「……?」
待っているヒカルからの抱擁がなかった。
「…進藤?」
訝しみ、顔を離すとヒカルを見つめた。
「塔矢、オレ――」
ヒカルは思いつめた顔をしていた。



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