日記 31 - 35


(31)
 「あれ?進藤、そのノート…」
アキラが、後ろから覗き込んで言った。ヒカルは、とっさに自分の背中にノートを隠した。
「どうしたんだ?何故、隠すの?」
「何でもない!何でもないよ―――」
ヒカルは顔を赤くして、必死で否定した。
 そんなヒカルを見て、アキラはちょっと寂しげに笑った。
「また―――秘密――?」
何気ない一言だったが、ヒカルの胸にズキンと響いた。
 「ちが…ちがうよ!これ…これ、日記帳!オレの…!」
口から勝手に飛び出していた。緒方先生に口止めしたのに、自分でばらしてしまった。
だって、塔矢が寂しそうな顔するから……。塔矢の言う通り、自分にはいっぱい内緒に
していることがあるから……。日記をつけていることなんて、他の本当に言えない秘密に
比べたら、大したことない。
「日記なんだ…笑ってもいいぞ…」


(32)
 ヒカルが照れた顔を俯き加減にして、上目遣いにアキラを見る。笑われると思っているのだろうか?
「笑わないよ…ちょっと意外だったけど…」
 別に深い意味が有ったわけではないが、ヒカルに気を使わせたらしい。ヒカルのことなら
何でも知りたい…でも、隠しておきたいことを無理矢理、聞きたいわけではなかった。
だが、結果的には自分の不用意な一言が、ヒカルの秘密の一つを暴いてしまった。
 ヒカルの小さな、本当にささやかな秘密を…。
「日記なら、ボクもつけてるよ。」
「知ってるよ。この帳面買った日から、つけてるんだ。オレ…
 塔矢に言うの恥ずかしくってさぁ…だってさ、早くもザセツしそうだし…」
ヒカルが笑って、ノートをパラパラと繰った。
「それに…き、昨日の分も書いてねえし……」
ヒカルは顔を赤らめた。夕べのことを思い出したのだろう。
「別に、毎日無理して書かなくてもいいんだよ。嬉しいことが有った日とか…
 特別な日とか…それで十分だと思うな…」
「じゃあ、やっぱり毎日だ。オレ、毎日楽しいし、塔矢に会えると嬉しい。
 碁を打っている時はすごく幸せだと思う…」
 アキラは、どうしようもないくらいに、ヒカルを愛しく思った。


(33)
 「やあ。」
塔矢門下の研究会で、緒方がアキラに親しげに声をかけた。
「こんにちは…緒方さん…」
アキラも挨拶を返した。最近は、ぎこちないながらも、以前の様に接することが出来るように
なっていた。まだ、暫く、完全に元に戻るのは無理だろう。自分はそう言う性質なのだ。ヒカルの
様に人懐こい性格なら、とっくの昔にわだかまりも氷解していると思う。
 何か話の糸口が欲しいと思った。
「最近、進藤は日記をつけ始めたらしいですよ。」
話題がヒカルのことしかないのが、情けない。その言葉を聞いて、緒方は、少し眉を上げた。
「あいつ…君には絶対に話すなとあれほどうるさく言っておいて…
 自分でばらしてしまったのか…!?」
「緒方さん…知っていたんですか?」
 緒方はしまったという顔をして、慌てて言い足した。
「途中で投げ出したら、恥ずかしいから、君には内緒にして欲しいって…
 アキラ君はずっと日記をつけているんだろう?」
「ええ…」
自分で振った話なのに――――ヒカルとの仲の良さを、緒方に見せつけられたような気がして、
気持ちが沈んでくる。


(34)
 緒方は自分の迂闊さに、舌打ちをした。近頃、漸く、アキラの気持ちもほぐれてきたようなのに、
これではまた、ダメになるかもしれない。
 アキラは、黙り込んでしまった。沈黙が続いて、居心地が悪い。だが、アキラを置いて、
この場を去る気にもなれない。
 唐突に、アキラが、緒方へ問いかけてきた。
「緒方さん…リンドウはお好きですか?」
突然の、何の脈絡もない質問に緒方は戸惑った。アキラが重ねて聞いてくる。
「リンドウはお好きですか?」
 自分には訳が分からないが、アキラにとっては何か大事な意味があるのだろう。
「ああ…清楚で慎ましい奇麗な花だ。秋の静けさに相応しい。あの瑠璃色が、一層、
 秋の情緒を引き立たせる。」
緒方は正直に、花に対して抱いている感想を言った。
「そうですか…進藤に、それを話したことありますか?」
「えぇ!?あいつと花の話を?まさか…!」
ヒカルと花…どう考えても噛み合わない。ヒカルはどう考えても、花より団子だ。見かけより
ずっと繊細な少年だと知ってはいるが、やはり花の美しさを語るタイプではない。
 アキラは、ホッとしたような笑顔を見せたが、すぐにまた眉を曇らせた。緒方の視線を
感じたのか、「変なこと聞いてごめんなさい。」と、謝って、皆のいる座敷の方へと消えた。
 それにしても、勘の鋭いアキラに、自分の気持ちを悟られないようにするのは一苦労だ。
いや、もう気づかれているのか……。でなければ、あんな顔をしないだろう。
 アキラには、ヒカルのことは、「可愛い」「惹かれている」程度しか言っていない。
そのたったの一言、二言で自分の気持ちは、ばれてしまっているのだろう。
 正直に言って、ヒカルと二人きりで部屋いるのは苦しい。だが、ヒカルに会えないのはもっと
辛い。来るなら、アキラと二人で来て欲しい。そうすれば、もっと落ち着くことが出来るのに…。
「上手くいかないもんだな…」
 ヒカルもアキラも自分のものではないのだから、これくらいのささやかな楽しみは許されると
思っていたが…。
「日記の話も二人だけの内緒話みたいで、嬉しかったんだがな…」
緒方は煙草に火をつけると、ゆっくりと肺に吸い込んだ。


(35)
 ヒカルは、和谷達との勉強会を当分休むことにした。アキラへの秘密が、これ以上増えることが
嫌だった。そのうちヒカルも忘れるだろうし、相手も忘れるに違いない。
 本当は、ヒカルだって、人の心がそんな単純なものでないことくらい知っている。でも、
その程度のものだと思い込みたいのだ。
 ヒカルは、自分の唇に、そっと触れてみた。あの時は怖くて怖くてしょうがなかった。
でも、アキラとの時は自分からしがみついていったような気がする。やっぱり、アキラは
特別なのだ。今のヒカルにとって、アキラだけが特別だった。
 時々、ヒカルは、アキラに佐為のことを話してしまいたくなる。でも、話せない。
話したくない。自分でも矛盾していると思う。
 ヒカルの心の奥深く、鍵をかけられた場所にいるのが佐為だ。しまい込まれた大切なもの。
時々、取り出してみて、掌でそっと包み込む。そうして、また、鍵をかけるのだ。
―――――大切な大切なヒカルだけの秘密。

 思い出の中を漂っていたヒカルの思考は、突然現実に引き戻された。
「ヒカル――――電話よ―――和谷君から。」
ヒカルは顔がこわばるのを感じていた。



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