平安幻想異聞録-異聞-<水恋鳥> 32
(32)
平らな岩の上で体を丸めて咳き込むヒカルの顔を覗き込むようにしながら、
背をさすってやる。
飲んでしまった水をひと通り吐きだして、苦しい息を整えてからヒカルが
言った。
「あー、びっくりした」
「びっくりしたのは、こっちです」
陽は天頂近くまで上り、鳥の囀りがあたりに降るようにこだましている。
明るい陽射しに透けた木の葉の影が、風が吹くたび、ヒカルの濡れた体の
上でチラチラと踊っていた。
安心して体を放そうとした佐為を、ヒカルが長い黒髪の一束を握るようにして
引き止めた。
「気持ち良かった? 佐為」
――本当はこんなやり方よりも、もっと優しい交わりの方が好きなくせに、
この子は、と思う。
「ヒカルは、怖かったんじゃないですか?」
「……うん、少し怖かったよ」
そう言って笑うヒカルを見ていると、一人で悩んで落ち込んでいた自分が
馬鹿らしくなる。
こんな醜い自分でも、ヒカルがそれでいいと言ってくれているのだから、いいでは
ないか。ヒカルが好きだと言ってくれるのだから、いいではないかと思えるのだ。
佐為はヒカルの手を取って、その指先に口付けした。ヒカルが、その笑顔を少し
艶めいたものに変えて、自分の指をたどる佐為の唇を見つめている。
小指の先を軽く銜えれば、鼻にかかったような甘い声がついて出た。
この次は、ヒカルが一番好きな優しいやり方で、溶ろかすように抱いてあげ
ようと密かに考えながら、佐為はその唇をヒカルの唇の上に運ぶ。
触れるだけの極短い口付けのあと、近くの木にかけられた着物を取って身支度を
整える。まだ少し湿っていたが充分だ。体を起こすのが辛そうなヒカルにも着物を
取って羽織らせる。
指貫の腰帯を締め、狩衣の襟元を整えながら、ヒカルが佐為を見て笑い声を
漏らした。
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