落日 33 - 34
(33)
佐為。
佐為に会いたい。
どれ程暖かな胸も腕も、どれ程強くきつく抱きしめられても、それでも足りない。
違う。欲しいのはこの腕じゃない。
甘い囁き声も、記憶に残る声と違う。
違う。欲しいのはこんなのじゃない。
佐為。
会いたい。
おまえに会いたい。
他の誰でも、おまえの代わりになんかならない。
佐為。どこにいる?どこに行けばおまえに会える?
なあ?佐為。どこにいるんだよ。返事をしてくれよ。
寒いよ。寒くて凍えそうだよ。
佐為。早く俺を探し出して。
俺を見つけて、そして抱きしめて。
目覚めた時はまた、広い室内に一人取り残されていた。
ふわり、と、懐かしい香りが漂ったような気がして、ヒカルはゆっくりと身体を起こした。
からりと戸を開けて縁側に立ち、更に裸足のまま庭に降り立つ。庭の隅に色とりどりの小菊が咲いて
いた。萩の花はとうに散ってしまったようだが、花びらの名残の残る木の根元には竜胆がまだ咲き
残っていた。
空を見上げると、暮れかけた空に白い三日月が浮かび、月に寄り添うように宵の明星が輝いていた。
(34)
佐為の屋敷を目指して歩き出していた足は、気付いたら違う方向へ向かっていたらしい。
思っていた所と違う場所へ辿り着いてヒカルはなぜここへ来てしまったのだろうかと呆然と門を見
上げた。
なぜ、と思いながら途方にくれてヒカルは辺りを見回し、西の空に浮かぶ白く細い月を見て、ああ、
そうだったのか、と不思議に納得した。
誰もいない事がわかっている佐為の屋敷を訪れるのが恐ろしくて、だから自分は彼に縋ろうとした
のだ。あの白く細い月が、なぜだか彼の事を思い出させて、ここへと足を運ばせたのだ。
けれどしんと静まり返った屋敷を前にして、ヒカルは躊躇した。
「……賀茂…?」
それでも、そっと名前を呼んでみた。
呼べば応えてくれるはずだと言う、何の根拠も無い自信があった。
門扉に手をかけると閂も錠もかけられていない扉はぎいと音をたてて開いた。
けれど彼の呼びかけにも、物音にも、応える者はいない。
屋敷は静まり返り、そこに人の気配はない。
いない?
いない?どこにもいない?
なぜ?どこへ行った?
|