黎明 34 - 38
(34)
泣き疲れたように重い眠りに落ちていく少年を宥めるように、その背を、髪を撫でながら、腕の中
の少年が思う人を、自分もまた思う。
美しく優しかったあの人を、自分もとても好きだった。
そしてその人を求めて自分の胸で熱い涙を流す少年を思い、逝ってしまった人を責め詰る。
なぜだ。
なぜ逝ってしまったんだ。彼を残して。
いっそ彼を連れてどこへでも逃げ落ちればよかったではないか。
彼の人生を慮ったのか。彼の前途を断ち切るのが忍びなかったというのか。
だが、残された今の彼を見れば、もし配慮というものがあったのならば全て裏目に出ているのでは
ないか、そんな気がする。
なぜ、彼を残して逝ってしまう事ができたんだ。
彼の思慕を断ち切りもせず、彼の心を掴んだまま。
(35)
彼はあなたを恨まないかもしれない。
いえ、恨めないでしょう。けれど僕はあなたを恨めしく思います。
いっそ連れて行ってしまえばよかったんだ。
こんな抜け殻のような彼だけをこの世に残していくくらいならば。
あの日、最後にあなたと言葉を交わした時、僕はあなたの決意をわかったつもりでいた。
けれどこんな結末が待っているなんて思いもしなかった。
なぜ僕はあの時、何も言えなかったのだろう。
それとも。
それともあの時既に、僕の心には闇が巣食い始めていたのだろうか。
全てを悟り、覚悟したようなあなたの笑顔が美しくて、悲しくて、それなのに、そうして流した涙の
中に、ほんの微かでも毒が混じっていはしなかったかと、僕は恐れる。
あなたは知っていましたか。
あなたが慈しみ、あなたを恋い慕うこの少年を、僕がどれ程慕い、恋焦がれていたか。
あなたを羨ましいと、妬ましいと、彼の思慕を一身に受けるあなたに成り代わりたいと、そんな
大それた望みを、僕が捨てきれなかった事を。
それとも。
「良いお友達でいてくださいね。」
そう言ったあなたは、僕の恋情など気付いてもいなかったのでしょうか。
気付いた上で、彼のその後を僕に託してくれたのでは、などと思うのは、きっと僕の思い上がり
なのでしょう。
けれど僕はあなたの言葉をよすがに、彼の手を引きたいと思うのです。
それは、ある意味、あなたの言葉を盾に彼を脅す事になるのかもしれません。
あなたを利用する事になるのかもしれません。
けれど、利用できるものなら何でも、彼をこちらに引き戻す為に使えるものなら何でも、例えそれ
がどんなに下らない戯言であっても、彼を脅し、宥め、あらゆる手を嵩じてでも、彼を取り戻したい
のです。
(36)
「ヒカル、食事を。食べられるか?」
声をかけると、寝台の中に身を起こしていたヒカルはゆっくりと振り返った。
傍らに膳を整えると、彼はゆっくりと手を伸ばして椀をとり、その中の粥を啜った。
その様子にアキラは小さく胸を撫で下ろした。
この屋敷へ来た当初、彼は食物を中々受け付けず、一匙の重湯を流し込んでもむせ返してしまう
程だった。何も映さない虚ろな瞳の彼の身体を抱きかかえながら、ゆっくりと時間をかけて、一匙
ずつ、手ずから食べさせてやった。
けれど今は、彼の手を借りずとも、僅かとはいえ自らの手で食事を取る彼を、彼の身体がここまで
快復してきた事を、喜ぶべきはずなのに一抹の寂しさをどうしようもなく感じてしまって、その思い
を封じ込むように、アキラはヒカルの姿から目をそらした。
やがて椀が置かれる小さな音がして、彼が食べ終えた事を感じたアキラは、式を呼んで膳を片付
けさせ、自分は隣室へと戻った。
(37)
夜半、浅い眠りにつきかけていたアキラに、小さな呻き声が届き、彼は身を起こした。
手燭を掲げながら隣室へと赴くと、果たして薄闇の中に寒さに震えてうずくまる彼の姿があった。
すばやく火桶に新たな火を起こしてから、彼の元へとより、肩に手をかけ、彼の名を呼んだ。震え
ながら彼はアキラを見上げ、腕を伸ばしてアキラの身体に抱きついた。小さく震える彼の背を抱き
しめながら、また、彼の名を呼んだ。
呼ばれて、アキラの腕の中でヒカルが小さく身じろぎした。そして彼を抱いたまま身を横たえようと
するアキラを押しとどめる力を感じて、アキラはその異変にもう一度彼の名を呼んだ。
「…ヒカル?」
僅かに身体を離すと、ヒカルがアキラを見上げ、先ほどまではアキラにしがみついていた手で、
震えながらアキラの身体を押し戻した。そしてぼろぼろと涙をこぼしながら、ヒカルはアキラを見
つめて頑なに首を振った。縋るように見上げる瞳の中に、けれど強い意志を感じて、アキラは彼
の身体から己の身体を引き離した。
追い縋るように彼の手が伸びる。けれど伸ばされた手は中空で止まり、彼の意思がそれを押し
とどめる。彼の内の葛藤をそのまま示すようにその手が震える。震える指先は次の瞬間、彼自身
の身体を封じ込めるように己の腕に巻きついた。
為す術もなく、アキラはただ彼を見つめていた。
抱えるように自らの身体を抱いていた彼は小さな悲鳴を上げて、そこへうずくまった。
己の内の嵐に抗うように、彼は小さく縮こまり、呻き声とも悲鳴ともつかぬ声が彼の喉から漏れた。
(38)
奥歯を噛み締め、拳を強く握り締めて、彼の姿から目を背けた。すると耳にはただ彼の呻き声
だけが届いた。
堪え切れぬ悲鳴がアキラの耳を苛み、耐え切れずにアキラはその部屋から逃れた。壁を伝い、
震える足をなんとか進ませて、怯えるようにその部屋から逃れた。もはやあの部屋に、己のいる
べき場所はない。彼のためには、自分はもはや必要でない。彼が彼の意思で嵐と闘おうとする
ことは、彼自身の力で、己を取り戻そうと闘うことは、喜ぶべき事である筈なのに。くず折れそうに
なる身体を支えるように、柱にしがみ付いた。
その時、逃れるようにヒカルから離れようとしたアキラの耳に、かつて聞いた事もない程の絶叫
が届いた。その響きに異変を感じたアキラは顔色を変え、もといた部屋へと走った。
「ヒカルッ!!」
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