クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 35
(35)
「・・・まぁいい」
緒方が扇をパチンと打ち鳴らすと、従者がそっと姿を見せた。
「お呼びでしょうか」
「今夜はここに泊まるから、オレの邸に使いを出してそう伝えろ。
それから、食物を届けさせろ。食欲の出そうなものと、精の付きそうなものと、
それに先日帝より下賜いただいた珍しい唐菓子があったろう。あれもだ」
「はっ」
「他に欲しい物はあるか?」
緒方が振り向いた。明は少し考えてから、傍らで丸くなって羽を休めている
小さな友達を見遣って云った。
「鳥が啄めるような、生の青菜と雑穀の類を少しいただければ」
「・・・だそうだ。新鮮な青菜を一束と、搗いた米を袋に一杯持って来い。
帝に献上しても通るような、質の良い奴をな」
「はっ。かしこまりました」
光が発った上に従者も退がり二人きりになってしまうと、
沈黙と共に今までの疲れがどっと押し寄せてくる。
気づかれないようそっと吐いた溜め息を緒方が耳聡く聞きつけ、苦笑した。
「そう嫌そうにするなよ。・・・嫌がられてもオレは今夜おまえの側を離れるつもりはない。
諦めて今の内に眠っておくなりするんだな。この数日はろくに寝ていないんだろ?」
そういうつもりで溜め息を吐いたのではない、と説明しようとしたが
誰かに気遣われ、見守られているという安心感がこれまで張りつめていたものを
急激に緩ませたのか、瞼が重りをつけたように下がってきた。
夕刻からクチナハがまた活動を始めた場合に備えるためにも、
今はとにかく少しでも寝て体力を回復しておくほうがよい――
緒方に少し申し訳なさを覚えつつ、明は無言で目を閉じぱったりと倒れ臥した。
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