うたかた 35


(35)
 森下師匠の研究会に来ている子が怪我をして、家まで送っていたことを話すと、由香里は一応納得したようだった。
 待ち合わせの場所であるバーのカウンターに座って、グラスを傾ける。きらきらと金色に光るこのカクテルの名前はなんだろう。ヒカルの前髪の色とよく似ている。途端に手のひらにヒカルの髪を撫でる感触がよみがえった。さらさらの柔らかい髪。
(やっぱり進藤の傍にいてやればよかった…。)

 冴木が由香里との電話を終えてケータイを閉じた時、ヒカルはいつもの明るい表情に戻っていた。
「彼女から?」
 からかうように笑って、横にどけられた碁盤の前に座り、碁石を片付け始める。冴木はそれを手伝いながら、ごめんと言った。
「ごめん、行かなきゃ。」
「なんで謝るんだよ。もうあとは自分で片付けられるから、早く行ってあげて。」

 微笑みながら言ったヒカルのあの言葉は本心だったのだろうか。
 ドアを開けて部屋を出る時、ヒカルはまだ石を片付けていて後ろ姿しか見えなかった。背中がやけに小さく見えた。

「光二ってば!」
 不意に意識が現実へと戻る。目線を右に移すと、由香里が眉間にしわを寄せてこちらを見ていた。
「あ…ごめん。何?」
「何、じゃないわよ。さっきからずっと呼んでるのに。今日のあなた、なんか変よ。」
「…そうかな。」
 由香里は冴木を呆れたように見つめ、次の瞬間カウンターに肘をついて冴木に顔を近付けた。
「同じ研究会の子って、女の子でしょ。」
「………。」
 予想もしていなかった言葉に冴木が沈黙すると、由香里はそれを肯定として受け止めたようだった。
「やっぱりね。そういうことなんだ。」
「そういうことって何だよ。誤解だ。」
 勝手に帰り支度を始める由香里の腕を掴む。
「おい、」
 ちゃんと話を聞けよ、と言いかけたが、掴んだ腕をやんわりと外されて、何も口に出せなかった。
「あのね、光二。私は今日2時間も待たされてイライラしてるの。お願いだから、これ以上私を怒らせないで。」
 静かな言い方が逆に怖かった。モデルのように鮮やかにターンして出口に向かう由香里を引き留めることは、もう出来なかった。



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