白と黒の宴4 35 - 36
(35)
社はその脇にある独り掛けの椅子に座ってテーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。
大阪の安っぽいラブホテルでアキラを抱いた時の事を考えると、こうして2人でいるのが非現実的に感じる。
だが、これは夢じゃない。
アキラの髪がまだわずかに湿っているのが分かる。シャワーを浴びて間もないのだろう。
「眠れないって言うとったが、…どこか具合悪いンか。」
間がもたなくて思いきってそう尋ねるとアキラは首を横に振った。
「…君にはすまないと思う。進藤と同様に君にとってもこの大会は大事なものであるはずなのに…」
「何や、お前までまるで進藤の身内みたいな事言うんやな。」
社は苦笑いした。いざ会話を始めてみたらなんていう事もなく、少し落ち着いてきた。
「倉田さんの話やったらオレ全然気にしとらんで。あのおっさん、適当に思い付いた事言うとるだけや」
社の言葉に頷いていいものかどうかアキラは困惑したような顔をした。
そして小さく安堵の溜め息をついて呟いた。
「…ありがとう…。」
「へ?なにお礼言うとんのや」
「君がいなかったら、ボクは自分を保てなかったかもしれない…。」
「…それはどういう意味や?」
社が問うが、アキラは答えなかった。そしてまた沈黙が流れる。
「あっ…!」
ふいに何かを思い出したように社が素頓狂な声を上げた。
「悪い!!…塔矢、オレ…勝てへんかった…」
するとふっと力が抜けたようにアキラが微笑んだ。
「倉田さんも言っていたじゃないか。良い戦い方だったって。ボクだってギリギリのところだった。
社もヒカルも大きな対局はこれが初めてなのに、よく戦いきったと思うよ。」
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アキラにそう言われて社は嬉しかった。「へへっ」と照れて鼻の頭を掻く。
「それにしても、相変わらず進藤っていうんは、変った戦い方しよる…無謀に見えて、しっかり
ち密に計算しとると言うか…」
「それが進藤の恐いところなんだ。」
口をつけないままコーヒーカップを見つめ、アキラが沈黙する。
社にはアキラが今日のヒカルの戦いを思い返しているのがわかった。
自分で切り出しながら、ふいにアキラをヒカルに持って行かれた気がした。
社は自分のコーヒーカップをテーブルに置くと、ソファーから立ち上がる。
アキラがピクリと小さく怯えたが、表情はいたって冷静に手の中のカップを見つめたままでいる。
出口へのドアと、そんなアキラとを一瞬見比べる。部屋を出ようか迷ったが、やはり今のアキラを
このまま1人置いて出て行く事は社にはできなかった。
社はベッドのアキラの手前の隣に腰掛け、アキラの手からそっとカップを抜き取りテーブルに置いた。
そして左手をアキラの肩に腕をまわし、そっと力を込めて自分の方に引き寄せる。
バランスを崩したアキラの体重が社の左半分にかかってくる。
ホテルのソープの香りが混じったアキラの髪の香りがした。
社にしてみればやはり賭けのような行為だった。だが、アキラは無理に体制を戻そうとせずそのまま
社に身を預けてきた。
アキラなりに社の苦悩を理解しているからだろう。そんなアキラの体の重みを感じた時、
社の中で強く鼓動が弾けた。
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