黎明 35 - 36
(35)
彼はあなたを恨まないかもしれない。
いえ、恨めないでしょう。けれど僕はあなたを恨めしく思います。
いっそ連れて行ってしまえばよかったんだ。
こんな抜け殻のような彼だけをこの世に残していくくらいならば。
あの日、最後にあなたと言葉を交わした時、僕はあなたの決意をわかったつもりでいた。
けれどこんな結末が待っているなんて思いもしなかった。
なぜ僕はあの時、何も言えなかったのだろう。
それとも。
それともあの時既に、僕の心には闇が巣食い始めていたのだろうか。
全てを悟り、覚悟したようなあなたの笑顔が美しくて、悲しくて、それなのに、そうして流した涙の
中に、ほんの微かでも毒が混じっていはしなかったかと、僕は恐れる。
あなたは知っていましたか。
あなたが慈しみ、あなたを恋い慕うこの少年を、僕がどれ程慕い、恋焦がれていたか。
あなたを羨ましいと、妬ましいと、彼の思慕を一身に受けるあなたに成り代わりたいと、そんな
大それた望みを、僕が捨てきれなかった事を。
それとも。
「良いお友達でいてくださいね。」
そう言ったあなたは、僕の恋情など気付いてもいなかったのでしょうか。
気付いた上で、彼のその後を僕に託してくれたのでは、などと思うのは、きっと僕の思い上がり
なのでしょう。
けれど僕はあなたの言葉をよすがに、彼の手を引きたいと思うのです。
それは、ある意味、あなたの言葉を盾に彼を脅す事になるのかもしれません。
あなたを利用する事になるのかもしれません。
けれど、利用できるものなら何でも、彼をこちらに引き戻す為に使えるものなら何でも、例えそれ
がどんなに下らない戯言であっても、彼を脅し、宥め、あらゆる手を嵩じてでも、彼を取り戻したい
のです。
(36)
「ヒカル、食事を。食べられるか?」
声をかけると、寝台の中に身を起こしていたヒカルはゆっくりと振り返った。
傍らに膳を整えると、彼はゆっくりと手を伸ばして椀をとり、その中の粥を啜った。
その様子にアキラは小さく胸を撫で下ろした。
この屋敷へ来た当初、彼は食物を中々受け付けず、一匙の重湯を流し込んでもむせ返してしまう
程だった。何も映さない虚ろな瞳の彼の身体を抱きかかえながら、ゆっくりと時間をかけて、一匙
ずつ、手ずから食べさせてやった。
けれど今は、彼の手を借りずとも、僅かとはいえ自らの手で食事を取る彼を、彼の身体がここまで
快復してきた事を、喜ぶべきはずなのに一抹の寂しさをどうしようもなく感じてしまって、その思い
を封じ込むように、アキラはヒカルの姿から目をそらした。
やがて椀が置かれる小さな音がして、彼が食べ終えた事を感じたアキラは、式を呼んで膳を片付
けさせ、自分は隣室へと戻った。
|