誘惑 第三部 35 - 38


(35)
「見張っていて。目を離さないで。ずっと側にいて。ボクを束縛していて。」
後ろから抱きつくように手を回されて、耳元で甘い声でねだられて、ヒカルは首筋から耳まで真っ赤
になった。
「なに?照れてるの?」
アキラが可笑しそうな声でいいながら、耳の付け根にチュッと音をたててキスした。
「可愛いね、進藤。」
顔から火が出そうになって、手を振り回してアキラを振り解いた。
「ちっくしょう、やめろよ、カワイイなんて言うの!」
「どうして?」
「男に向かって言う言葉じゃねぇよ!」
「だったら、」
言いながらもう一度ヒカルを引き寄せて、
「ボクに可愛いなんて言わせないようないい男に、早くなってくれよ。」
そうしてもう一度首筋に軽くキスした。
「楽しみに待ってるから。」
「…畜生、オマエなんか……いいから、もう寝ろ!憎まれ口叩いてないで!」
「ハハハ、」
笑いながらアキラはヒカルの肩に寄りかかり、ヒカルに体重を預けて目を閉じた。
身体にかかる重みと、呼吸の様子に、やはり通常でないものを感じて、ヒカルは、アキラをちゃんと
休ませてやらなければ、と思う。
「塔矢、」
名前を呼びかけ、髪を撫でながらヒカルは言う。
「やっぱり、身体、キツイんだろう?ちゃんと休もうよ。ベッドに行こう?な?」
「…うん、」
ゆっくりと大儀そうに目を開けたアキラの顔を覗き込んで微笑みかけ、それから彼の身体を気遣い
ながら立ち上がらせて、支えるようにしてベッドへ連れて行った。


(36)
「進藤、」
ベッドを離れかけたヒカルを引き止めるようにアキラが声をかけた。
「どこにも行かない?ボクが寝ている間にどこかにいってしまったりしない?」
急に声の調子が変わって、思わずヒカルはアキラに振り向いた。
「だって目が覚めてまた一人だったら、昨日の事も今日の事も夢だったんじゃないかと思ってしまう。」
こいつはわざとやってるんだろうか。無意識だったら相当だ。
さっきまでオレをからかってふざけてたくせに、急にこんな風に、縋りつくみたいに見て、オレが守って
やらなきゃいけないみたいに思わせるなんて、ずるい。卑怯だ。反則だ。
「行かないから…!」
そしてアキラから目をそらして、身体を無理矢理寝かしつけ、乱暴に布団をかけた。
「どこにも行かないから、ずっとついててやるから、だからさっさと寝ろ。寝てくれ!」
「ありがとう。」
言われてつい、その顔を見てしまって、ヒカルはまた真っ赤になった。
頼むから、そんなに優しく笑わないでくれ。襲いたくなっちまうじゃねぇか。大人しく寝ててくれよ。
「バカ、」
照れ隠しにそう言っておでこをピンと弾いて、ベッドを離れた。
何か時間つぶしでも、と思って本棚を物色していたヒカルの背中にアキラがもう一度声をかけた。
「でもね、進藤。子供は残せなくても、キミとボクとで残せるものがあるんだよ。」
それが何かは聞かなくてもわかった。
だから、「わかってるよ。」と、おざなりに答えた。
わかったからさっさと寝ろ。ちゃんと休んで、身体を元に戻せ。
でなきゃ、体調万全でなかったら、残せるような棋譜なんて、作れるはずがないだろう?
そして二度とオレに体力負けで負けたような棋譜なんか見せるな。馬鹿野郎。


(37)
今日こそは帰る、と言ったヒカルに、やはりアキラは不満そうな顔をした。
「だって、オレ明日は手合いがあるしさ、それにいい加減帰らなくちゃ。」
「手合い?そうなんだ。じゃあ、ここから一緒に行けばいいじゃないか。」
「え、おまえ、明日、対局あるの?」
「うん、大手合い。相手は…誰だったかなあ。そこら辺に通知あると思うけど。」
「そうなんだ。何か、久しぶりだな。一緒の日に対局があるのって。」
「そうだっけ?」
「……そうだよ。」
「……そうだね。」

「だからさ、明日は棋院で会えるから、いいだろ?」
じっとヒカルを見ていたアキラが、ふわっと笑って言った。
「いいんだよ、わがままを言ってみたかっただけだから。」
無防備な笑顔を見せられてヒカルは言葉に詰まった。
なんだなんだそのカワイイ顔は!新手の引止め作戦かよ!ああああ、そんな顔見せられたら
帰れなくなるじゃないか!そりゃあオレだってずっと一緒にいたいけど、でもそんなわけ、いか
ないだろ。もう着替えないし、お母さんだっていい加減おかしく思うだろうし。
「どうしたの、進藤?」
ヒカルの目を覗き込むようにしてアキラが言う。
その視線を断ち切れるほどに、ヒカルの精神力は強くはなかった。


(38)
ああ、結局やっちまったよ…、と軽い自己嫌悪を感じながら、ヒカルはもう一度シャワーを浴びた。
無造作に服を着込み、髪を拭きながらベッドに戻る。
そっとベッドの端に腰掛けると、丸くなってまどろんでいたアキラがヒカルの気配を感じて目を開け、
ヒカルを見て微笑んだ。
「帰るよ。」
「うん。」
幸福そうな微笑みに、本当は引き止めて欲しいと思ってるのは自分の方なのかもしれない、と思う。
手を伸ばして、髪を軽く梳くと、心地良さげにアキラが目を閉じる。手を放せなくなってしまって、その
ままアキラの頭を撫で続けていると、アキラがクスクスと笑い出した。
「どうした?やっぱり泊まってく?」
からかうような声でそう言って、目を開けてヒカルを見上げる。言われてヒカルがムッとしたのを面白
がるように笑っている。
「…帰るっ!」
ヒカルは憮然として立ち上がり、乱暴にリュックをしょって玄関へと向かう。
「あ、」
そして、ふと心配になってもう一度アキラに確認するように訊ねた。
「明日、大丈夫だよな?」
「大丈夫だよ。」
「棋院まで、一人で来れるか?」
「…当たり前だろ。」
「そうかよ?甘ったれの塔矢アキラくんはお迎えがなきゃ行けないかなーっと思ったんだけどな。」
「じゃあキミが迎えにきてくれるのか?へーえ、嬉しいなあ。」
「甘ったれんなよ!バカヤローッ!」
寝ているアキラに向かって、あっかんべーをして、ヒカルはアキラの部屋を出て行った。
後ろでアキラが可笑しそうに笑っていた。



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