平安幻想異聞録-異聞-<水恋鳥> 36
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「うん、駆けるのは無理だけど、歩くんならそんな辛くない」
言って、ヒカルは馬の肩を軽く叩く。
「明日からはまた、加賀達の夜警の手伝いもしてやんないとなぁ」
「あぁ、最近、五条に出るという盗賊団ですか」
「そうそ、小物は捕まるんだけどな、肝心の首領がなかなか捕まんないよ」
佐為の専属の警護役であるヒカルにとって、物取りの追跡捕縛は責務ではないのだが、
ヒカルはこの休みを取る前にも、数日間、自宅に帰らずに検非違使庁に詰めている。
「帰ったら今日も一度、検非違使庁に顔出しておこうかな」
「大変ですねぇ。でもあんまり無茶をしては駄目ですよ」
「大変なのは、お前もだぜ、佐為」
ヒカルの瞳が佐為を捕らえた。
「なんか、また菅原の奴がゴソゴソしてんじゃん」
例の事件の直後は、その名を出すことにも怯えた様子を見せたヒカルだが、時間が
たって今は大分平気になったらしい。心底嫌そうな表情は隠そうともしないが。
「あいつも、しつこいよなー。よくやるっていうか。一度は内裏から姿を消したの
に、今じゃ冷泉大納言様の囲碁指南役か」
「――でも、人格はともかく、確かに碁はお強い方ですよ、菅原殿は」
「オレ、あいつの棋譜見たことあるけど、あいつの打ち方嫌い。これ見よがしに
派手な手が多くてやだ」
自分が普段思っていても、宮中での耳をはばかって口にしないことを、ヒカルが
あまりにすっぱり言いきるので、その小気味よさに佐為の口から苦笑が洩れた。
色々とたわいない世間話をしながら馬を出す。
二人を乗せた馬は、のんびりと山道を下ってゆく。
鳥たちの、その日最後の囀りを後ろに背負い。
山道を下った先には、遠く、京の都が淡く霞がかって見えていた。
<平安幻想異聞録-異聞-<水恋鳥>・了・>
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