Linkage 36 - 40


(36)
 程無くして、ステンレス製のトレイを片手に、緒方は戻ってきた。
アキラの横に腰掛けると、スライスしたレモンと氷の入った2つのグラスをテーブルに
並べ、グリーンのボトルに入った透明な液体を注ぐ。
シュワシュワと勢いよく泡が弾ける様子を、アキラは辺りに漂う爽やかなレモンの香りに
包まれながらうっとり眺めていた。
緒方はクリームチーズを塗ったクラッカーの皿をテーブルの中央に置くと、2つのグラスを
手に取り、片方をアキラに手渡す。
「それでは、可愛いアキラ君の来訪とオレの誕生日を祝してカンパイ!」
 アキラも緒方に合わせて楽しそうに「カンパイ!」と声を上げ、軽やかにグラスをぶつけた。
 床暖房が程良く効いている室内は暖かく、キリッと冷えたペリエの泡が喉をくすぐる。
レモンの仄かな酸味と香りも、例えようもなく心地良い。
アキラは初めて飲むこの飲み物が一気に好きになってしまった。
 一息にグラスを空けるアキラを笑いを堪えながら見つめていた緒方だったが、アキラが
「ふうっ」と満足そうにグラスをテーブルに置くと、すかさずペリエを注いでやった。
アキラは緒方の気遣いに少し照れ臭そうな表情を浮かべたが、ふと思い出して鞄を開ける。
「緒方さん、お誕生日おめでとうございますっ!!これプレゼントです。気に入ってもらえると
嬉しいなぁ……」
 そう言って鞄の中の小さな包みを両手で緒方に手渡した。
満面の笑みを浮かべながらプレゼントを手渡すアキラに、今度は緒方が照れ臭そうな表情を
浮かべる番だった。
「……本当にいいのか?」
 そう言いながら受け取った包みをまじまじと見つめる緒方が、一瞬硬直する。


(37)
「……ちょっと待ってくれ!この包みはダンヒルじゃないかっ!?」
 緒方は唖然として包みとアキラを交互に見ると、頭を抱え込んだ。
その様子をアキラは不思議そうに見つめている。
「……どうかしたんですか、緒方さん?もしかして……ダンヒルは嫌いなんですか?」
 少し悲しそうな表情で自分を覗き込むアキラに気付き、緒方は慌てて顔を上げると
決然と首を横に振った。
「いや、好きだ!ダンヒルは大好きだよ、アキラ君」
 緒方の言葉にアキラが嬉しそうに微笑んだ。
「開けてみてもいいかな?」
 アキラは更に嬉しそうにうんうんと首を縦に振る。
リボンを解き、包装紙を丁寧に剥がすと、緒方はひとつ大きく呼吸をして箱をそっと開けた。
中身は銀色に輝くシャープなデザインのライターだった。
 愛煙家の緒方からしてみれば、ダンヒルのライターは欲しくて堪らなかったものの、
自分にはまだ分不相応な気がしてなんとなく手を出せずにいた一品である。
これまでにダンヒルのショップに何度か足を運んでいた緒方だったが、アキラからの
プレゼントは新作なのだろうか、同じデザインのものは見たことがない。
だが、大凡価格の見当はつく。
一般的な小学6年生がおいそれと買える品物ではない。
「随分高かったんじゃないか?」
 アキラが裕福な家庭の子であることは緒方も十二分に承知してはいるが、かといって、
子供にみだりに高額の小遣いを渡すような家庭ではないことも知っている。


(38)
心配そうに尋ねる緒方に、アキラは苦笑しながら答えた。
「……ええ、ちょっと高いなぁと思ったんですけど……。お正月に家に来た人が格好いい
ライターを持っていて、どこのものか訊いたらダンヒルだって……。ボク、緒方さんは
きっとこういうのが似合うだろうなと思ったんです!それに、お正月にはいろんな人から
お年玉を沢山貰ったから、心配しなくても大丈夫ですよ」
 アキラの言葉に一応納得する緒方だったが、なんとなく申し訳ない気持ちも残る。
だが、手の中で渋い輝きを放つライターのひんやりとした感触や、確かな重みに、満足感から
自然と顔が綻ぶ自分の様子を我が事のように嬉しそうに見つめるアキラの笑顔に、緒方の
気持ちは吹っ切れた。
「ありがとう、アキラ君。ずっと大切に使わせてもらうよ。なにせ、ダンヒルのライター
といえば愛煙家垂涎の品だからな」
「そう言ってもらえてよかったなぁ!でも……煙草の吸いすぎには注意してくださいよっ!」
 緒方がプレゼントを喜んで受け取ってくれたことに、心から嬉しそうな表情を見せるアキラ
だったが、緒方の健康を気遣ってそう忠告すると、いかにも子供らしく頬をぷくっと膨らませた。
 緒方はそんなアキラを笑いながら宥めると、ソファから立ち上がり、PCデスク上の煙草を
取りに向かった。
早速プレゼントされたライターで火をつけ、一服し始める。
「……さて、プレゼントのお礼じゃないが、今度はアキラ君の相談とやらを聞かせてもらおうか」
 紫煙をくゆらせながら穏やかにそう語りかける緒方に、アキラは先程とは打って変わって深刻な
眼差しを向け、小さく頷いた。


(39)
「……ボクが……碁会所で同じ6年生の子と打ったこと……知ってますよね……」
 アキラは揃えた膝の上に置いた手をじっと見つめながら、訥々と話し始めた。
「ああ。市河さんから聞いているよ。これまでに一度も対局したことがなかったという子だろ?」
 アキラは緒方に視線を向けることなく、膝の上を凝視したまま、力無く頷く。
「……ボク……さっぱりわからないんです。……彼は一体……」
 緒方にも、その少年の存在は気になる。
もはや同年代の子供に敵はいないと思われていたアキラの前に突然現れた謎の少年……。
プロに匹敵するアキラの実力を知り尽くしているからこそ、緒方自身、興味を抱かずには
いられないものがあった。
 コンクリートの壁に凭れ、しばらく考え込んでいた緒方は、ゆっくりと白い煙を吐き出すと
PCデスク上の灰皿に煙草を押しつけ、ソファに腰掛けるアキラの元へと歩み寄った。
項垂れるアキラの頭を優しく撫で、諭すように言う。
「その子が何者かはオレにもわからんさ。ただな、アキラ君、そういう子の存在は今のキミにとって
重要なものだろう?」
 緒方の言葉にアキラは顔を上げた。
「……重要……ですか?」
 縋るように緒方を見つめるアキラの声は、消え入りそうなほど小さく、弱々しい。
(こんなアキラ君を見るのは初めてかもしれないな……)
 これまでに、アキラが碁の師匠でもある父親の厳しい指導を受け、落ち込んでいる姿を緒方は
何度も目にしている。
だが、その時のアキラには決してこのような危うい脆さは感じられなかった。
真摯に父親の指導内容を受け入れ、更に高みを目指そうとすぐに前向きな気持ちを取り戻せるのが、
これまでのアキラだった。
 今のアキラはそれとは明らかに異なる。
思いも寄らなかった現実に直面し、ショックから立ち直る術を知らないままに、もがき苦しんで
いるかのようだった。


(40)
「今回の一件は、アキラ君がこれまでに経験したことのないことだったろうな。だが、勝負の
世界では何が起きるかはわからないんだ。盤上の結果は疑いようのない現実だろう?」
 緒方は身を屈め、目線の高さをソファに腰掛けるアキラに合わせた。
「アキラ君がこれから棋士としての人生を歩む上で、この経験は大きなプラスになるとオレは
思うがね……」
 両手で優しく頬を包み込み、至近距離からそう語りかける緒方をアキラは瞬きもせず見つめ続けた。
(恐らくアキラ君も頭ではわかっているんだろう。だが、それと精神的なものとはまた別か……)
 口にこそ出さないが、アキラの気持ちは緒方にもわからないものではない。
緒方は頬を包む両手に僅かに力を込め、アキラの顔を上向かせた。
「いつまでも下を向いているのはアキラ君らしくないぞ」
 そう言って屈めていた身を起こし、アキラの頬を指先で軽く2、3度叩くと、そっと手を離した。
アキラは緒方の言葉にこっくりと頷きはしたものの、その瞳にはまだ不安の色が隠しきれない。
「……緒方さんの言う通りですよね。……でも……」
「でもなんだい?なんでも言ってごらん、アキラ君」
 緒方はPCデスクから灰皿を取ってくると、それをテーブル上の自分のグラスの横に置き、
アキラの横に腰掛けた。
ポケットから煙草を取り出し、アキラにプレゼントされたライターで火をつける。
「……ボク、あの一局のことばかり考えちゃって、なんだか眠れなくて……」



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