少年王アキラ 36 - 40
(36)
「倉田殿、アキラ王は御年15…よもや少年王と呼ばれる所以をお忘れではあるまいな?」
アキラ王の不快を見て取ったオガタンが、倉田を牽制しながら二人の間に割って入る。
「あ、そうだっけ?なら、オレが先輩としてサイン書いてやるよ。オレのサインなら
ご利益間違いなし!きっとツキまくるぞー!」
どこから取り出したのか色紙とサインペンを手に、胸を張る倉田。
が、唐突に小さな機械音が鳴り響いた。倉田が慌てて自分の腕時計を見る。一見普通の
腕時計のそれは、実は日本棋院特製・腕時計型通信機なのだ。
「ああぁ、呼び出し入っちゃったよ!抜け出して来たからなぁ。…悪い、サインはまた
今度な。必ず書いてやるから、今日は自力で頑張れよ!」
そう言うと倉田は意外にも軽やかなフットワークで部屋から駆け出して行ってしまった。
と、同時に第一レース終了の鐘が鳴る。倉田の乱入にすっかりレースを忘れていた面々は
馬場内に設置されたターフビジョンに注目した。
―単勝 3番―
オガタンが購入した馬券だ。自動的にアキラ王の一点買いの馬連は無くなる。
「クッ…あいつのせいでアヤがついた!」
アキラ王が悔しげに唇をかみ締め、手にした馬券を豪快に破り捨てた。
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「…オガタン、何故邪魔をした!?」
重苦しい沈黙が支配していたその場に、アキラ王の怒りに満ちた低い声が響いた。
「あんな無礼者など、我が鞭の裁きを受けても当然の輩だろう!?」
憤り輝く瞳で鋭く睨み上げられながらも、オガタンは平然とした表情で眼鏡を押し上げる。
「アキラ王、あの者はあれでも日本棋院のエースパイロット。ここで揉め事を起こせば、
日本棋院サイドが出てくるのは必至。当然、あなたの愛するレッドも来るでしょう」
「レッドが来るなら尚更、あの者を…!」
眉を顰めて声を荒げるアキラ王にたたみ掛けるように続ける。
「だがレッドは日本棋院に属する者。あの者を庇うレッドの姿をご覧になりたいのですか?」
「そ、それは…」
言葉に詰まり不服そうに横を向くアキラ王。
「元々ここには万馬券をとりに来たはず。他は全てレッドを手中に収めた後になされば
よろしいのです。今はただ、当初の目的通り万馬券を得て、レッドに紅白碁石をプレ
ゼントすれば良いだけのこと。…アキラ王、色恋に焦りは禁物です。まずは外堀から
埋めていきなさい」
諭すように言うオガタンを見上げ、少年王は剣呑さを含んだ表情を緩めた。
「そうだな。あの者の仕置きはレッドを得てからにしよう!その為にはまずは万馬券だ!
今回は倉田のせいでスベったが、次は負けないぞ」
すっかり機嫌を直し、気合を入れて競馬新聞に目を落とす。
そんなアキラ王の露わになった白い項をオガタンがじっと見つめていた。
――いける…ツキはこちらに来ている。今度こそ、オレがアキラ王の菊門をいただく!
どちらに転んでもいいように手を打ってあるが、最終的な邪魔が入らないことを強く願う
オガタンだった。
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馬場内に最終レース終了を知らせる鐘が鳴り響く。
「…くッ!」
アキラ王は悔しげに唇をかみ締めた。万馬券ハンターの名を以ってしても第1レースの
負けを取り戻す事が出来なかったのだ。
「勝負、ありましたな」
声に押さえきれない嬉しさを滲ませながら、オガタンが告げた。
実はオガタンは故郷のオガタン星では名の知れた勝負師だったのだが、色事の絡んだ勝負
で身持ちを崩し、逃げる様に星を後にして以来秘伝の薬を片手に流しの無免許医として
放浪していたところを前王の行洋に拾われた過去を持っていた。
しかし、そんな若きオガタンの苦い青春などアキラ王は知る由もない。
久々の賭け事に忘れていたはずの勝負師の血が滾り、気分が高揚していたオガタンの口は
滑らかに言葉を紡いで行く。
「確かにアキラ王はよくやりました。だが最初のレースを落とした時、ツキは既にこちら
に来ていた。それに気付かなかったのがあなたの敗因だ。運気の流れまで読んでこそ、
一流のギャンブラー……つまり、あなたは勝負師としてはまだまだオレの下だ」
――そして今夜は文字通り、その身がオレの下だ!
心の中でガッツポーズを取るオガタンは、勝利に酔いしれるあまり自分が大きな過ちを
犯してしまった事に気付いていなかった。
俯いて唇を噛んでいた少年王の肩が小刻みに震えている。次の瞬間―
「黙れ、オガタン!!」
激しい音を立ててアキラ王が椅子から立ち上がった。綺麗に切り揃えられた美しい黒髪が
乱れ、その前髪の間から覗く瞳はギラギラとした光を宿していた。
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「さっきから黙って聞いていれば、一体誰に向かって口をきいているんだ!…このボクは
少年王だぞ!?王たる者への暴言の数々!こんな屈辱は初めてだ!!」
今にも地団駄を踏み出しそうな勢いで叫ぶアキラ王をオガタンはじめ、周囲の人々は驚い
た表情で見つめた。先のオガタンの発言程度なら座間がいつも言っている。
だが、何故今回はこんなにもご立腹なのか…?
それにはアキラ王なりの理由があった。一応今回のレースで万馬券を取ることは出来た。
しかし、始めに倉田でアヤが付き、更にはオガタンとの勝負にまで負けてしまったのだ。
――そんなケチのついた金でレッドへのプレゼントなど買えやしないじゃないか…
レッドにぴったりのピュアな金じゃなきゃダメなんだ!
そもそも賭け事で得た金銭が果たしてピュアかどうかはこの際問題ではないらしい。
愛するレッドに紅白碁石を贈ることを夢見て、本日のレースに臨んだのに夢は儚くも
散ってしまった。
そんな落ち込んだ気分の時に浮かれたオガタンの言葉を聞き、積もり積もった怒りが爆発
したのだ。
単なるヤツ当たりとも言えるが、オガタンの普段の彼らしからぬタイミングの悪さも重な
った結果である。
「…そこまで言ったんだ。当然覚悟は出来ているんだろうな、オガタンよ?」
突然声を落とし囁くように言うと、手に持った鞭をもう一方の掌に軽く打ちつけながら
オガタンへと歩み寄る。
少年王のかつてない程の怒りをその身に浴びて、オガタンの背中を冷たい汗が伝う。
オガタンの真正面で歩みを止めたアキラ王は、弄んでいた鞭をビシリとオガタンの眼前に
衝き付けた。
「座間!オガタンを公開処刑だ!!」
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「いやあぁぁぁぁぁッ!!」
レース終了直後のパドックにて観客達の悲喜交々なざわめきの中、一際大きな悲鳴が
響き渡った。
その発信源は馬券を握ったまま目を見開いて佇む茂人だった。
「ど、どうしたの?茂人たんの馬券のお馬さん、一番だったよ?」
506が周囲の迷惑そうな視線を気にしつつも、心配気に茂人の顔を覗きこむ。
だが茂人の両耳にはイヤホンが差し込まれており、506の声は届いていなかった。
右耳のイヤホンは競馬中継を聞くためのラジオに、そして左耳のイヤホンはオガタンの
眼鏡のフレームにこっそり仕込んである超小型盗聴機の受信機へと繋がっているのだ。
先程から盗聴したオガタンの予想馬券と同じ物を購入しては、兄貴とペア馬券♪などと
はしゃいでいた茂人だったが、今やその顔面は硬くこわばり青褪めている。
「ねぇ、どうしちゃったの?茂人たん!」
いつもとあまりにも違う茂人のその様子に、堪らずに506は腕を掴み揺する。
茂人はそれでやっと我に返ると、腕を掴む506の手を取り強く握り締めた。
「506たん、大変よ!…兄貴が、兄貴が、死んじゃう〜〜〜〜!!」
「ええ!?そんな…!」
「…506たん、兄貴のところへ行くわよ!」
事態が掴めずうろたえる506の手を握ったまま、茂人は猛然と走り出した―――
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