誘惑 第三部 37
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今日こそは帰る、と言ったヒカルに、やはりアキラは不満そうな顔をした。
「だって、オレ明日は手合いがあるしさ、それにいい加減帰らなくちゃ。」
「手合い?そうなんだ。じゃあ、ここから一緒に行けばいいじゃないか。」
「え、おまえ、明日、対局あるの?」
「うん、大手合い。相手は…誰だったかなあ。そこら辺に通知あると思うけど。」
「そうなんだ。何か、久しぶりだな。一緒の日に対局があるのって。」
「そうだっけ?」
「……そうだよ。」
「……そうだね。」
「だからさ、明日は棋院で会えるから、いいだろ?」
じっとヒカルを見ていたアキラが、ふわっと笑って言った。
「いいんだよ、わがままを言ってみたかっただけだから。」
無防備な笑顔を見せられてヒカルは言葉に詰まった。
なんだなんだそのカワイイ顔は!新手の引止め作戦かよ!ああああ、そんな顔見せられたら
帰れなくなるじゃないか!そりゃあオレだってずっと一緒にいたいけど、でもそんなわけ、いか
ないだろ。もう着替えないし、お母さんだっていい加減おかしく思うだろうし。
「どうしたの、進藤?」
ヒカルの目を覗き込むようにしてアキラが言う。
その視線を断ち切れるほどに、ヒカルの精神力は強くはなかった。
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