Linkage 39 - 40
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「……ボクが……碁会所で同じ6年生の子と打ったこと……知ってますよね……」
アキラは揃えた膝の上に置いた手をじっと見つめながら、訥々と話し始めた。
「ああ。市河さんから聞いているよ。これまでに一度も対局したことがなかったという子だろ?」
アキラは緒方に視線を向けることなく、膝の上を凝視したまま、力無く頷く。
「……ボク……さっぱりわからないんです。……彼は一体……」
緒方にも、その少年の存在は気になる。
もはや同年代の子供に敵はいないと思われていたアキラの前に突然現れた謎の少年……。
プロに匹敵するアキラの実力を知り尽くしているからこそ、緒方自身、興味を抱かずには
いられないものがあった。
コンクリートの壁に凭れ、しばらく考え込んでいた緒方は、ゆっくりと白い煙を吐き出すと
PCデスク上の灰皿に煙草を押しつけ、ソファに腰掛けるアキラの元へと歩み寄った。
項垂れるアキラの頭を優しく撫で、諭すように言う。
「その子が何者かはオレにもわからんさ。ただな、アキラ君、そういう子の存在は今のキミにとって
重要なものだろう?」
緒方の言葉にアキラは顔を上げた。
「……重要……ですか?」
縋るように緒方を見つめるアキラの声は、消え入りそうなほど小さく、弱々しい。
(こんなアキラ君を見るのは初めてかもしれないな……)
これまでに、アキラが碁の師匠でもある父親の厳しい指導を受け、落ち込んでいる姿を緒方は
何度も目にしている。
だが、その時のアキラには決してこのような危うい脆さは感じられなかった。
真摯に父親の指導内容を受け入れ、更に高みを目指そうとすぐに前向きな気持ちを取り戻せるのが、
これまでのアキラだった。
今のアキラはそれとは明らかに異なる。
思いも寄らなかった現実に直面し、ショックから立ち直る術を知らないままに、もがき苦しんで
いるかのようだった。
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「今回の一件は、アキラ君がこれまでに経験したことのないことだったろうな。だが、勝負の
世界では何が起きるかはわからないんだ。盤上の結果は疑いようのない現実だろう?」
緒方は身を屈め、目線の高さをソファに腰掛けるアキラに合わせた。
「アキラ君がこれから棋士としての人生を歩む上で、この経験は大きなプラスになるとオレは
思うがね……」
両手で優しく頬を包み込み、至近距離からそう語りかける緒方をアキラは瞬きもせず見つめ続けた。
(恐らくアキラ君も頭ではわかっているんだろう。だが、それと精神的なものとはまた別か……)
口にこそ出さないが、アキラの気持ちは緒方にもわからないものではない。
緒方は頬を包む両手に僅かに力を込め、アキラの顔を上向かせた。
「いつまでも下を向いているのはアキラ君らしくないぞ」
そう言って屈めていた身を起こし、アキラの頬を指先で軽く2、3度叩くと、そっと手を離した。
アキラは緒方の言葉にこっくりと頷きはしたものの、その瞳にはまだ不安の色が隠しきれない。
「……緒方さんの言う通りですよね。……でも……」
「でもなんだい?なんでも言ってごらん、アキラ君」
緒方はPCデスクから灰皿を取ってくると、それをテーブル上の自分のグラスの横に置き、
アキラの横に腰掛けた。
ポケットから煙草を取り出し、アキラにプレゼントされたライターで火をつける。
「……ボク、あの一局のことばかり考えちゃって、なんだか眠れなくて……」
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