裏階段 アキラ編 39 - 40
(39)
髪が乾ききっているか確かめて椅子とアキラの背の隙間と膝下に腕を差し入れ、アキラの体を
抱き上げると寝室のベッドに運んだ。毛布と掛け布団の中に押し込んで肩までしっかり包んでやる。
「…緒方さんは?」
「オレはまだ仕事がある。」
「…そうなんだ。ごめんなさい。」
「謝る事はない。おやすみ。」
「…おやすみなさい…。」
やはり疲れていたのだろう。ストンとアキラは眠りに落ちて寝息を立て始めた。
「なかなか大物だな。」
枕が変わると寝られないというタイプにはならないだろう。地方対局でホテル泊まりも
多いプロ棋士の条件の一つはクリアだなと思った。
深夜を過ぎて出版部に出す原稿が出来上がり、眼鏡をテーブルに置いて伸びをする。
相変わらず眼鏡はかけたりかけなかったりだったが、さすがにパソコンで文章を綴るのには要した。
明朝はアキラを学校まで送らなければいけない。ラジオのタイマーを設定し、
アキラが夜中にトイレに起きる可能性も考えて部屋の照明は落としたまま消さないで、
そのままソファーに横になった。あらかじめ置いてあった毛布を胸から下に掛けた。
頭の下で両腕を組むようにして、眠りに落ちた。いや、落ち掛かった。
その時寝室のドアが開く気配がした。アキラが目を覚ましたらしい。
やはり寝かす前に無理にでもトイレを済ませさせるべきだったなと、半分眠りかかった
頭の片隅で後悔した。
(40)
こちらが眠っているのを気遣ってアキラは足音を忍ばせてソファーの脇を通り過ぎ、
トイレに入っていった。水を流す音の後、同じような足取りでキッチンに行き、
冷蔵庫を開けてコップに飲み物を注いでいるようだった。
何でも欲しい物は遠慮なくとるように言ってあり、カラフルなラベルのリキュールや
カクテルの小瓶の類をジュースと間違えないようにと教えておいた。
まあそのうち、アキラとここで酒を飲み交わし朝まで囲碁論を戦わす時も来るだろう。
そんな事を考えていて、ふと水を飲み終わったはずのアキラの気配がなくなった事に気付いた。
寝室に戻ったと思ったが、そうではなかった。
すぐ近くにアキラがいる、と感じた。
より一層足音を忍ばせ、アキラはソファーの脇に寄って来ている。
こちらは目を閉じたまま寝たふりをしていた。
アキラは傍に立ってこちらをじっと見つめているようだった。
そうしてしばらく経って、顔を寄せてくる気配があった。頬にほんの微かだがアキラの呼気を感じた。
次の瞬間柔らかく温かいものがオレの唇に触れた。
一瞬の出来事だった。
そしてふわりと風が起き、アキラの気配消えて寝室のドアが閉まる音がした。
少し時間が経ってから目を開け、ソファーの上で体を起こした。
首を振って髪をかきあげて、息をつく。
―あいつは今、何をした…?
キッチンを見るとアキラが使ったコップが水滴をつけて残っていた。
夢ではなさそうだった。
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