黒い扉 4


(4)
小料理屋で言う突き出しのようなものなのだろうか、
カウンターに就くとすぐカップに入った熱いトマトスープが二人の前に出された。
スパイスの効いた味で身体の芯から温まる気がする。
カップを両手で支えふうふうと冷ましながら飲むアキラを、
横から肘をついて覗き込みながら緒方が囁いた。
「なあ、今からでも遅くない。・・・帰らないか」
口を付けかけたカップから顔を離してアキラが聞き返した。
「そんな・・・どうしてですか?ここまで来ておいて」
「オレが女と浮気なんかしてないって、もう分かっただろう」
バーテンダーや他の店員に聞こえなかったかドキリとしたアキラだったが、
彼らは素知らぬ顔でそれぞれの作業を続けている。
あるいは、この店で働いていれば客のこんな会話には慣れっこなのかもしれない。
さっき見た若い男の尻の筋肉と、それを見られていると気づいた時に相手が見せた
いかにも慣れた様子の微笑みがアキラの心に引っ掛かっていた。
「確かに、女性はいないようですけど・・・でも、何だかこのお店」
「何だか?」
「・・・緒方さんの好きそうな人がたくさんいる・・・考えてみれば緒方さんて
ボクとこんな関係になるような人だし、女性より男性のほうがお好きなんじゃ・・・」
「オレが好きなのは、アキラだよ」
突然呼び捨てにされてカップを取り落とすかと思った。
それはいつも、セックスの最中だけに与えられる呼び名だ。
どぎまぎしながらアキラが見ると、緒方は肘をついたまま真面目な顔で
アキラをじっと眺めている。
「なあ、好きだよ。何があってもおまえを愛してるよ。
・・・オレはこんな奴だが何があってもおまえとのことだけは大切にしたいし、
守りたいと思ってるんだ。・・・だからもし・・・」
普段二人きりの時でさえ滅多に与えられないような愛の言葉の大盤振る舞いに、
もう秘密を追及することなど止めて緒方の言うとおり家に帰ってあげても
よいかもしれないとアキラが思いかけた時、背後からそっと肩に置かれた手があった。
「やぁ塔矢君。緒方先生と一緒に、来てくれたんだな。・・・嬉しいよ」
今日の招待主――芹澤が、日頃と変わらぬ穏やかな微笑を浮かべてそこに立っていた。



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