平安幻想秘聞録・第三章 4
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翌朝、せっかく朝市で仕入れた上がったばかりの魚が並んだ朝餉の席
だというのに、佐為の表情は険しかった。その機嫌の悪さは、正面に座
したヒカルが音を立てて汁物をすするのも憚れたほどだった。
「佐為、あのさ。その眉間にシワを寄せるのは、やめといた方がいいぞ」
「あぁ、すみません」
そこでいったんは笑顔を作る佐為だが、ほんの数分も持たない。昨日
の夜からずっとこうなのだ。ヒカルは思わずため息をつきたくなった。
「えーと、佐為さ。とりあえず何もなかったんだし、そんな顔するなよ」
「確かに昨夜は何もありませんでしたが、これからも何も起こらないと
は言い切れませんから」
こと囲碁に関して以外は、どこか解脱している感がある佐為が、ここ
まで気分を害しているのにわけがあった。
もう夜も更けましたからと、退出を匂わす度に、宴の主催者である女
主に何やかやと理由をつけられて引き止められた。普通、帰るという者
を無理に留めるのは粋でないとさせるものなのだ。
嫌な予感がした佐為は、最後の手段とばかり仮病を使って宴をやっと
抜け出し、屋敷に戻って来ると、裏門に見慣れぬ網代車が置かれている
上に、二人いた門番が前後不覚に陥っていた。
これは何かただならぬことと、ヒカルの寝室のある東の対屋(たいの
や)に急いでみれば、小袖を半分はだけかけられたヒカルの姿があった。
その上にのし掛かる男らしき影に、武芸の心得もない佐為が腰を抜かさ
なかったのも、ひとえに我が身よりヒカルの身を案じたからだ。
男と対峙した佐為は、ただ一言こう言い放った。
「今宵は月も出ておりませぬゆえ、向かう先を間違えることもありまし
ょう。私は何も見なかったことに致しましょう。すぐにここより立ち去
られてはいかが?」
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