霞彼方 4
(4)
はじめて間近にするといっても過言ではない大人の女性の雰囲気に、どぎまぎする
ヒカルの横で、森下が眉をひそめて返す。
「あらあら、あいかわらず硬派ねぇ。そこがセンセエはいいんだけど」
「先生って本当にもてるんだ…」
感心したようにつぶやいたヒカルの言葉を女は聞き逃さなかった。
「そうね、こんなに取っつきにくくて、お店に来ても、いきなり携帯用の碁盤を
広げてお弟子さん達と検討会をはじめるような人なのに……うちのお店の
女の子達は、そんな森下さんがかっこいいっていうのよ。碁の話をしている時の
この人の横顔がたまんなく色っぽいんですって」
その言葉にヒカルは、今日の対局前、碁盤の前にすわっていた森下の横顔を
思い出した。あれは、たしかに男の自分がみても…かっこいい、と思った。
「おだてても、今日はもう帰るからな!」
「先生、自分の成すべきことと正面から向かい合う男っていうのは、女には
たまならなく色っぽく感じるものなんですよ」
森下が、照れたように口ごもった。
ヒカルは考える。この女の言うことは本当だ。
今日、対局前、碁盤を睨みつける森下の顔にたしかに痺れた自分がいる。
対局中も、その気迫に圧されまいと自分を鼓舞しながらも、自分の背中を自慰にも
似た蠱惑的な痺れが駆け抜けた。
そして、それと同じものを感じたのは今日が初めてではない。
プロになって初めて塔矢と対局したとき、自宅で伊角の迫力の懇願に負けて
本気の一局を打ったとき。塔矢名人と佐為との一局を見たとき。
この女の人は、もしかしたらそういうものを言ってるのかもしれない。
「オレ、わかる気がするよ」
「まぁ、この坊やの方が、先生よりは話がわかるみたいだわ」
女は、コロコロと口元をおさえて笑いながら、一礼して通り過ぎていく。
通りすぎざま、ヒカルに一言。
「ぼうやも、将来はあんな男になりなさい」
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