浴衣 4 - 8


(4)
「アキラさん、折角お父様が持ってきてくださったんですもの、着ていったらいかが?」
「え、でも…」
僕はチラッと進藤を盗み見た。しかし、進藤は子供のように目を輝かせて、黒と紺の浴衣を眺めている。残念ながら、僕のSOSに気づかないどころか、とどめを刺してくる。
「そうだよ、塔矢。着てみろよ」
「そうだわ、進藤君。あなたも着てみない? アキラのが他にもあるのよ」
「いや、俺…じゃない僕は普段和服着なれてないから……」
慌てて手を振り断る進藤に、父まで微笑んでいる。
彼がいるだけで、賑やかになる。
それは、進藤の持つ独特の空気なんだろうと、僕は思う。


6時半までに帰っていらっしゃいという母の声に送られて、僕たちは家を後にした。
角を曲がり大通りにでると、進藤が尋ねてきた。
「暑くないか?」
「浴衣?」
「うん」
「君に比べたら、暑いだろうね」
嫌味を聞かせる。
だってね、進藤はアロハにハーフパンツだよ。僕より暑いはずがない。
僕の嫌味に、進藤は困ったように片頬だけで笑って見せた。
「凄い似合ってる」
まいった。
進藤は言葉を惜しまない。
彼が誉めているときは、心から誉めているんだ。
「あ……、ありがとう」
僕は口篭もってしまった。女の子じゃないんだから、着てるものを誉められてもね。
似合うといえば、今日の進藤の格好も似合っているというか、彼らしいというか。
赤いアロハは、白い花の模様が涼しげで、そのなかに着ているTシャツは真っ白で清潔感があった。


(5)
駅を通りすぎ、銀行前の信号を渡ると、そこから露天商の小さな店々が、ひしめくようにして軒を連ねている。
はだか電球のまぶしい光と、やたらに派手な暖簾にけたたましい呼びこみが、僕たちを包みこむ。
焼きあがったベビーカステラの香ばしい匂いに食欲をくすぐる焼き蕎麦のソースの焦げる匂い。まだ生暖かい風が、江戸風鈴の涼しい音色を辺りに響かせ、色あざやかな風車をくるくると回す。
「想像してたのと全然違う」
「どう違うの?」
「こんなに賑やかだとは思わなかった」
「8のつく日が、お不動さんの縁日なんだけどね、今日は一年に一度の例祭なんだ。だから、いつもよりお店も多いければ、人出も多い」
そんなことを説明しながら、僕たちは露天を冷やかして歩いた。
縁日に行くと、なぜか買ってしまうものにアンズ飴がある。
僕が「食べる?」と進藤に訊いたら、彼は失礼なことに人の顔を見て吹き出してから、「一つだけにしとけよ」と偉そうに言ってくれた。
まったく、何年前の話を蒸し返してくれるんだ。
そんな進藤は、薄荷パイプ愛好家のようで、子供向けアニメのキャラクターのなかからさんざん迷った挙句、アンパンマンの形をしたパイプを選んだ。
広島風お好み焼きを半分づつ食べながら、因島に行ったときの思い出を話してくれた。
僕が、秀策記念館にまだ行ったことがないと言うと、いつか一緒に行こうと言ってくれた。
輪投げをして、射的をして、金魚すくいをした。
進藤は金魚すくいが得意だと自慢するだけあって、たった100円で5匹もすくってみせた。
持って帰ったところで、水槽一つあるわけでもない。進藤は、彼の見事な手つきに熱心に拍手をしてた子供に、ビニール袋ごと金魚を上げてしまった。
二人で並んでヨーヨー釣りをしたけれど、これは最初から紙縒りが濡れていたようで、僕も進藤も一つも取れなかった。
釣れなくても一つはもらえるので、僕は赤いヨーヨーを、進藤は白いヨーヨーを選んだ。
少し水の量が多いのかろ、少し重く感じるヨーヨーをパンパン言わせながら、お不動さんの境内に入った。
占いのくじを引いて、ふたりとも真っ先に目を通すのは勝負事の欄だった。
お不動さんの本殿で、お賽銭を投げこみ、拍手を打った。
初詣でもないから、願い事は些細なこと。
進藤が聞きたそうにしたから、かえって言いたくなかった。


(6)
喧騒の中、最後にいか焼きを食べるかやきそばにするかで意見を戦わしながら、いま来た道をまた戻る。
前から肩車の親子連れがやってくるので、半歩道を譲った。
擦れ違うときふわりと柔らかいものが右の頬に触れた。
なんだろうと思った次の瞬間、右のこめかみに痛みが走った。
「えっ!?」
声をあげて振り向きながら、痛みの原因を知る。
わた飴だった。
肩車された女の子の手に、半分とけたわた飴が握られていて、そのとけた部分に髪がさらわれたのだった。



「まだ痛むか?」
本殿裏の水場は、参道の喧騒が嘘のように静かだった。
「痛まないよ。べたつくだけ」
痛みはたいしたものではなかった。わた飴に絡め取られた髪を、取り戻すのには梃子摺ったけれど。
若いお父さんは、すみません、すみませんと頭を下げていたけれど、わた飴を台無しにされた女の子は涙目でこっちを睨むし、行き過ぎる人は好奇の視線を向けてくるしで、そっちのほうがよほど痛かった。
僕たちは迂闊なことに、どちらもハンカチを持っていなかった。
親子連れと逃げるように別れた後で、とりあえずべたつく頬を洗おうとこの水場に来たのだ。
べたつく髪が、べたつく頬に貼りつく感触は、いただけない。
とりあえず頬を洗うと、進藤が着ているアロハの裾で拭ってくれた。
「進藤、君の服が汚れるよ」
「大丈夫、こんなんすぐ乾くし」
彼はそう言うと、僕をベンチに座らせて、急いでアロハの裾を水で絞ってくると、それで汚れてしまった髪を丁寧に拭いてくれた。
「進藤……」
嬉しかった。目の前に見えるのは、進藤の白いTシャツだけだったが、僕は進藤が優しい表情でいることを疑わなかった。
胸が熱くなってくる。


(7)
「進藤――……」
「うん?」
僕の呼びかけに、進藤は優しい声を聞かせてくれた。
それは本当に短いものだったけれど、そこに滲む響きは強く心に残った。
不思議だなと思いながら、僕は口を開いた。
「好きだ」
言いたくてたまらなかった。
言われたから返すのではなく、聞かれたから答えるのではなく、自分の気持ちを自分の意思で伝えたかった。
「僕は君が好きだ」
僕の言葉に弾かれたように、進藤が大きく一歩後ろに退いた。
わずかな距離が、かえってお互いの表情を、はっきりさせる。
進藤は大きな瞳をこぼれんばかりに瞠いてた。
「塔矢……」
進藤が膝を折る。僕の足元とにしゃがみこみ、下から覗き込んでくる。
あんまり見て欲しくなかったが、ここで目を逸らすのも本意ではなかった。
見上げてくる進藤の瞳に、自分が映っているような気がした。
こんな暗がりでそれを確認できるはずもなく……。
進藤の暖かい手が、僕の膝に置かれた。
「ごめん」
突然、進藤が謝罪を口にする。
僕は……、思いがけない謝罪に、初めて羞恥を覚えた。
なぜ謝るんだ? 僕は、なにか間違えていたのだろうか。
さすがにそれ以上、見つめていられなくて、目を瞑り、俯いた。
「ごめん……、俺……まだちゃんと言ってなかった」
一瞬、指先まで凍ったように感じたのに、いまは全身に火が灯ったようだ。
「塔矢」
胸が苦しい。耳にも心臓があるみたいだ。
「好きだ」


(8)
ああ、もう取り返しがつかない……と、凪いだ気持ちで僕は思った。
僕も進藤も、言葉にしてしまった。
認めてしまった。
お互いの気持ちを―――――。

取り返しがつかないと思う一方で、歓喜が血管を流れ、体中をめぐる。
徐々に火照っていく体に、文字通り水が刺したのはその時だった。
パシャっというどこか可愛いらしい破裂音がした。と、同時に右足に水がかかった。
「ヨーヨー……」
進藤が呟いた。
ヨーヨーだった赤い風船が、地面に無残な形となって落ちていた。
「割れたんだ……」
「塔矢の足、濡れてる」
進藤は、口のなかで呟くと、僕の右足から下駄を奪う。そして、しゃがんでいる自分の膝に僕の右足をおくと、乾いているシャツの裾を手にした。
拭いてくれようとしていることがわかった瞬間、すまなく思えて足を取り返そうとした。が、進藤はそれを許してくれなかった。
彼が両手で僕の足を挟んだ。
濡れた足に、熱く湿った柔らかい感触が走った。
「あ……しん……!」
ぴちゃりと音がした。
肌に残った水を求め、進藤の舌が動く。
進藤に掲げられ、すべる水滴を進藤の唇が捕らえる。



分岐点  「このまま」  「分岐 青



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