失着点・展界編 40
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…あの人?誰の事を考えているんだ、オレは…。
数歩歩いてはそう打ち消し、また数歩歩いては迷う。足は自然に駅前の
碁会所に向かっていた。「あの人」が居る可能性がある場所。
マンションの場所も部屋番号も正確に覚えていなかった。
あの夜のように、偶然に出会える事を期待するしかなかった。
…期待?何を?
碁会所はまだ明かりがついていたが、足を入れる訳にはいかなかった。
あの人に会う所を誰にも見られたくない。正確には、自分があの人に
会いたがっていることを誰にも知られたくなかったのかもしれない。
あの日、自分に起こった出来事を知っている唯一の“大人”に。
「…また夜遊びか?」
碁会所の窓の明かりを見上げて歩道に佇んでいたヒカルの背後からふいに、
掛けられた声。全身の血がその声のした方に向かうのを感じて、ヒカルは
自分がいかに心細かったのか自覚した。振り返るとそこに緒方が立っていた。
「…緒方先生…。」
「遅くならないうちに帰りなさい。」
冷徹なほどにぴしゃりと言い放たれ、緒方は碁会所の中に入って行った。
救い上げられた直後に再び池の中に落とされたように、ヒカルは一人
取り残された。両手を握りしめ、唇を噛む。
こんなものかもしれない。子供の都合よくはならないのが、大人なのだ。
だだをこねるように心は揺れたが、碁会所に背を向けのろのろと歩き始める。
カツカツと歩幅の広さを表わす足音が追って来くるのに気付いたのは
暫くしてからだった。
碁会所から離れた場所でその声は再びヒカルに投げかけられた。
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