黎明 40 - 42


(40)
ぴくり、と彼の指先が僅かに動いた。一瞬、気のせいかと思った。その次に、小さな息が肩にかかる
のを感じた。腕の中で彼が小さく身じろぐのを感じた。
「…ヒカル?」
僅かに身体を離し、彼の名を呼びながら、顔を覗きこんだ。額に張り付く前髪をそうっと祓うと、彼の
睫毛が小さくふるえ、それからゆっくりと、彼は目を開けた。
開かれた目はけれど虚ろに、アキラを映しはしなかった。
「……ヒカル?」
目の奥に次第に光がともり、ゆっくりと焦点の合ってきた目は何かを探すように宙を彷徨う。その眼
差しが、何かを捕えたように、ある一点で止まり、そこを凝視した。
アキラは息を飲んで彼の眼差しの追う、何もないその空間を振り返った。
「佐為。」
か細くはあるけれど、はっきりとした声が、かの人の名を呼んだ。
けれど応えは無い。あろう筈がない。
身動き一つする事もできずに、いないはずの人を見つめる彼の眼差しを、凍える思いで見つめた。
中空を凝視していた目の光がゆっくりと薄れ、諦めたように閉じられた瞼から一筋の涙が流れ落ちた。


(41)
僅かに温かみの戻ってきた身体を、そっと抱いた。
抱え込むように彼の頭を胸に抱くと、暖かい涙が胸に落ちるのを感じた。
声にならない声で彼の名を呼ぶと、呼び声に応えるように彼の腕が背に回された。
静かな呼吸を、吐く息を、重なり合った胸に響く彼の鼓動を、確かに感じた。
彼の髪は柔らかく、彼の肌は滑らかで温かく、微かながらもその息遣いは確かで、裸の胸に感じる
湿った吐息から、彼の身体全体から、甘い香りが薫るような気がした。
確かに温かく息づいている肌の温もりは心地良く、ぴったりと触れ合った皮膚を通して彼の熱が己
の身体に流れ込んでくるのを感じる。同時に自分の体温もまた彼を暖めているのを感じる。
そうしてじっと彼を感じていると、鼓動も、体温も、吐く息も、全てが一つに溶け合って、体全体が彼
と溶け合って一つになってしまったかのような錯覚を感じる。
錯覚に過ぎないことを意識の片隅に置きながら、けれどこのひと時だけ、喪われずにすんだ温もり
を抱きながら、彼は優しく暖かい、束の間の儚い夢にしばしまどろんだ。


(42)
隣室から苦しげなうめき声が聞こえる。彼が、彼自身と闘っている声が。
耳を塞いでしまいたい。いっそここから逃げ出してしまいたい。何も、何の手助けもできない自分
には、その声をただ聞いているのは辛い。それでも、彼から目を離すわけには行かない。彼を襲
う嵐が彼から去るまで、抱きしめてやる事さえできなくとも、それでも自分はここにいなければな
らない。嵐が激しすぎて彼を壊してしまう事のないように、何もできなくともそれだけは見守って
いなければならない。
耐え切れぬように、高い悲鳴が上がる。けれどそれを堪えようと彼が闘っている気配を確かに感
じるので、まだ、その声の内に彼の理性を感じるので、彼の闘いの中に入っていく事はできない。
求められてもいない手を、差し伸べる事はできない。

そうやってヒカルを襲う嵐との戦いはヒカルの勝利に終わる事もあり、またヒカルの敗北の果てに、
アキラが震える彼の身体を抱いて暖めてやる事もあった。けれど次第に彼の意思は嵐に負ける
事なく、アキラが隣室に彼の気配を窺っている内に、嵐が去っていく事の方が多くなっていった。

そして今日もまた、彼は嵐に敗れることもなく、ようやく隣室は静まり、苦しげながらも呻き声は寝息
にかわる。アキラはやっと重く苦しい息をつき、自らの身体をほっと寝台に横たえた。けれどアキラ
の胸の内にざわめく風がアキラから眠りを奪い、彼はまた、夜の闇に彷徨い出る。



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