無題 第2部 41 - 45


(41)
そうしてまた日常が戻ってくる。
ボクの生活にまた新しい要素が一つ加わっただけだ。
時々、あの人の部屋に行って、セックスして帰ってくる。それだけだ。
それなのに、それでも、ボクの胸の中には、何かが欠けたようにぽっかりと空白の部分が
あるような気がする。でも、何が足りないんだかはわからない。

あの人とのセックスはボクには十分に満足できるものだったし、(彼がボクに満足している
のかはわからないけど)、抱き合って、一つに繋がっている時は、もうこれ以上の充足感は
ないという気になる。ボクはあの瞬間が好きだ。あの人がボクを呼ぶ声が好きだ。
「アキラ…愛してる」
そう言われるのは嬉しい。時々、泣きそうになるくらい、嬉しい。
でも、それだけじゃ足らないものが、なにか、あるんだ。
そんな時に、ボクは彼にしがみついて、せがんでしまう。
もっと、もっと、強い刺激を。
ボクを呑み込んでどこかにさらっていってしまうような、もっと激しい、強い、なにかを。


(42)
あの人と二人でいる時には、一人の部屋に帰りたいと思い、けれどここで一人でいると
たまらなく寂しく感じてしまう事がある。
だけどその寂寥感をどうやって埋めたら良いのか、ボクにはわからない。
ボクを抱きしめるあの人の体温でも、ボクを貫く熱い固まりでも、優しくボクの名を呼ぶ
その声でも、埋め切れない何かがある。

「一人は寂しいよな」
そう呟いた進藤の辛そうな表情を、そんな時にボクは思い出す。
それから、「もう打たない」「ゴメン」そう言った時のキミの顔を。
あの頃、キミには一体何があったんだ?
キミは何も言わないし、今では何もなかったように、明るく元気なキミに戻っている。
だからボクはキミになにがあったのかは知らない。
だけど、一瞬キミが見せたあの表情、そして一度だけボクが訪ねていった時の、
あの時のキミを忘れられない。
今までの情熱を捨て去ってしまうほどの、どんな辛い出来事がキミにあったんだ?
ねえ、進藤。キミは知ってるんだろう?一人の辛さを。寂しさを。
そしてキミは一体どうやって、それを乗り越えたんだ?どうか、ボクに教えてくれ。


(43)
「塔矢!」
用事が済んで棋院会館を出ようとした時、出入り口で突然声をかけられた。
「進藤?」
「おまえを待ってたんだ。」
「ボクを…?」
「この間さ、おまえにイヤな思いさせちゃったし…お詫びってんじゃないけど、よかったら、
今日、ウチに飯食いにこねぇか?」
和谷の家に誘った時の事を言っているのだろう。
「それは…嬉しいけど。」
「それとも、今日、なんか用事ある?」
「いや、特には。」
「そっか、それじゃ良かった。行こうぜ?」
そう言って彼は嬉しそうに笑った。
彼の明るい笑顔が好きだ。それはボクの心を軽くしてくれる。
本当は今夜はあの人のマンションを訪ねようかと思っていたけれど、それはいつでもいい。
こうやって、友達の家に遊びに行くなんて初めてだ、とアキラは思った。
友達?
友達、なんだろうか。ボクにとって彼は。


(44)
ヒカルの母は気さくでおしゃべり好きで、久しぶりの賑やかな食卓は、アキラの心をほぐした。
彼女はアキラを気に入ったようで食事中もずっと、彼に話し掛けてきた。
「塔矢はオレの客なのに。」とヒカルが拗ねて口を尖らせたくらいだった。
食べたらすぐに暇乞いするつもりだったのに、気付いた時にはなぜかヒカルの家に泊まる
事になってしまっていた。
食事を終えた時には、まだ早いから食後のお茶でも飲んでいけと言われ、ヒカルの母の
手製のケーキを食べ終えた時にはもう遅い時間だから泊まっていけ、と言いくるめられた。
延々と続くヒカルの母のおしゃべりに付き合わされた後、無理矢理風呂を勧められ、気付
いた時にはアキラは、彼には若干小さ目のヒカルのパジャマを着せられていた。
「あんたの部屋にお布団出しておいたから、後はよろしくね、ヒカル。
明日は塔矢くん、早く出なきゃいけないって言うから寝坊しないようにね。」
それでやっとアキラはヒカルの母から解放された。
「にぎやかなお母さんだね。」
階段を上りながら、アキラはヒカルに笑って言った。
「まったく、やんなっちゃうよな。うるさくってさ。ごめんな、付き合わせちゃって。」


(45)
通されたヒカルの部屋は思ったよりも綺麗に片付いている。
ステッカーがペタペタ貼られた冷蔵庫(部屋に冷蔵庫?)や、怪獣のおもちゃ、本棚のマンガ
本や床に転がったゲーム機が、進藤らしいな、とアキラは思った。自分の部屋とは随分と
違うけど、それでも本棚の中にはマンガ本に混ざって詰碁集や囲碁雑誌も並んでいるし、
部屋の隅には碁盤も置かれている。
「碁盤、あるんだね。今から一局打とうか?」
何気なく言ったその一言に、だが、ヒカルの顔が強張った。
「あれは…」
口篭もってからアキラを見上げたその顔は、なんだか、今にも泣き出しそうだ。
「進藤…?」
「もう、時間も遅いしさ、今から打ってたら遅くなっちゃうし…
明日、朝早く出なきゃならないだろ?だから、もう寝ようよ。」
震え声で、必死に言い募るヒカルに対して、アキラはそれ以上追求する事は出来なかった。
わかった、そうだね、と告げ、それぞれの布団に入って、電気を消した。
薄闇の中で、ヒカルは声に出さずに、アキラに謝った。
―ゴメン、塔矢。
でも、この部屋でおまえと差し向かいで打ったりしたら、オレ、泣いちゃいそうなんだ。
アイツを思い出して、泣いちゃいそうなんだ。
オレ…おまえに泣き顔なんか見られたくないんだよ。



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