Shangri-La第2章 41 - 45
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アキラを腕の中に収めて、艶やかなその髪をくるくると
指に絡めたり外したりしながら、ぼんやりと時間を流していく―――
近頃毎日、何らかの仕事を入れているヒカルにとって
それは、とてつもなく贅沢な時間の使い方だった。
母の退院が決まったら、指導碁以外のバイト、特に深夜帯のバイトは
継続できないだろう。だからそれは全部やめるつもりで
限られた日限の中で、できるだけ早く、沢山、稼ぎたくて頑張ってきた。
そして、もうじき、その日が来る。
なのに貯金は目標を大きく下回り――外で過ごす時間が増えたせいか
小遣いの減りが異様に早く、当初の計画は大幅に後ろにずれ込んで
しまったため、正直、まだまだバイトはやめられそうにない。
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アキラには、多少淋しい思いをさせているとは思う。
二人の関係が進むにつれ、アキラは信じられない程
ヒカルに甘えるようになってきた。
なのにもうずっと、アキラと二人きりで過ごす時間はとれず
触れるどころか、直接話をすることすらできずにいる。
森下先生のことは気にしなくていいと言ったが、アキラには
気になるようで、棋院周辺での接触は自粛されたままで
芹澤の研究会の時でも、目も合わせずに挨拶するだけだ。
しかし時々、アキラはヒカルを見ていた。
ふと目が合うと、その瞳は激情に燃えていて、
なのに棋院内やその周辺でヒカルから声をかけても
アキラはひどくそっけなかった。
いつもだったら指導碁の予約がキャンセルされたくらいで
その日をオフにしたりはしないのだが、
最近電話もかけてこなくなったアキラが気になっていた。
それに何より、ヒカルは疲れていた。
毎日どこかしらに出掛けて、仕事も碁の勉強も並列でこなしている。
たまには休みたい。それも本音だった。
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胸にかかる、久しぶりのアキラの重みに心が安らぐ。
アキラはヒカルの胸元が気になるのか、何度も撫でている。
その手から、重なった身体から、体温がじんわりと染みてきて
そのぬくもりが、身体の中にある重たい何かを消し去っていくようだ。
それと同時に、意識までもがすうっと薄らいでいく中で
アキラが、何かとんでもないことを口にした。
言葉の意味は理解できるが、その意図が分からなくて
どうしてそんな事を言うのか聞き返したいと思ったのに
その思いすら、ほの白く霞んで霧散した。
全てが揮発して消えていくその感覚が、幸せに思えた。
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久しぶりのヒカルは、少し体つきが変わったように思う。
ヒカルの身体は細くて、薄い。
寄りかかる胸は、こんなにはしっかりしていなかったような―――
気になって、Tシャツの上からヒカルの胸元を何度も撫でた。
ほんの2、3ヶ月とはいえ、少し大人になったのかと嬉しくもあり、
自分の知らないところで成長している事が淋しかった。
いつも一緒にいられると思っていたけれど、そうではなかった。
自分も、ヒカルの知らないところで少し成長しているのだろうか。
ヒカルと居る時間は、とても幸せだ。
何も話さなくても、何もしなくても、
ただ抱き締めてもらえるだけで、それで十分だ。
ただ、今はこうしていられて幸せだが、次はいつか分からない。
もしかしたら、とんでもなく先なのかもしれない。
先が見えない約束は辛すぎて、もう二度としたくない。
目を閉じると、昨晩の緒方の言葉が頭を掠めた。
―――進藤の時間を、お前が買えばいいだろう?
ヒカルの時間は、一体、いくら位するんだろう?
キミと一晩過ごすためには、いくらあればいい……?
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(……いや、いけない。そういう事を考えるのは…)
昨晩、緒方の口からその言葉を聞いたときは
虫酢が走るほどの嫌悪感を覚えた筈なのに、
そして、ヒカルがそんな事を言われたら
きっと同じように不快に思うだろうに
それでも、そんな考えに染まり始めている自分がいる。
そんな自分を、ヒカルが、不快感も露に見下ろす姿が浮かんで
アキラは慌てて考え事を止めようと試みた。
そういえば、ヒカルは話しかけても来なければ
お茶を飲む気配もない。
アキラの髪を弄るヒカルの手だって、いつの間にか止まっている。
ヒカルの片腕に身体を支えられ、なおかつ額の上にはヒカルの頬が
乗せられた今の状態では動くこともままならないが、
それでもなんとか様子を探ると、規則正しい呼吸音だけが聞こえる。
あまりに早く寝入ってしまったのは、疲れているからだろうか。
そっとアキラが身を捩ると、肩に置かれたヒカルの手が
音を立てて畳の上に落ち、それでもヒカルは反応しなかった。
「進藤、進藤……ここで寝ないで、進藤…」
ヒカルの反応は鈍い。
アキラは仕方なく立ち上がり、布団の用意を始めた。
「進藤、寝るなら布団で寝て…、ほら、進藤」
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