日記 41 - 45


(41)
 ヒカルは通りから、花屋の店先をちらちらと覗いた。何せ、未だ花なんて買ったことがない。
第一、花の名前なんて、ひまわりとチューリップくらいしか知らなかった。今は、
それにリンドウが加わっているが…。
 店を覗いているヒカルに気がついて、主が笑いながら、奥からでてきた。
「いらっしゃい。お母さんのお使いかい?それとも、ガールフレンドにプレゼント?
 何が欲しいの?」
「あの…おじさん…オレ…」
ヒカルは、もじもじした。自分が欲しいのだと言うのに、少し抵抗があったし、花を
買うだけなのに、すごく緊張している自分がおかしかった。
「おじさん…オレ、リンドウが欲しいんだけど…」
思い切って店主に希望を言う。店主は、言いにくそうにヒカルに告げた。
「リンドウかい…あれはねえ、秋の花だから、まだちょっと早いんだよ…」
「秋の花?」
ヒカルは秋の花と聞いて、少しがっかりした。それでは、今は手に入れられないのだ…。
「夏に咲くのもあるよ。ほら、これとか…こっちもそうだよ。」
店主は、花の名前を説明してくれたが、ヒカルには憶えられなかった。それに、教えて
くれた花の色は白いし、白くない奴は、ヒカルの思っていたのとは、かなり違っている。
「これも…リンドウなの?オレの知っているのと全然違う…」
「そうだねえ…君は、瑠璃色をした釣り鐘型の可愛い花が、欲しかったんだろう?」
ヒカルは、悄然と肩を落として、こくりと頷いた。ヒカルがあまりに落胆しているので、
店主は、「入荷したら、とって置いてあげるからまたおいで」と親切に言ってくれた。
ヒカルは礼を言い、それから、切り花ではなく、鉢植えが欲しいことを伝えた。
 店主が、笑って頷くのを見届けて、ヒカルは店を出た。


(42)
 アキラに見せようと思っていたのに…。ヒカルは、本当にがっかりした。もっとも、
アキラのことだから、本物のリンドウを見たことぐらいあるだろうけど…。
 ヒカル本人は、リンドウの花の匂いも、大きさも何も知らない。だから、本物の花が
見たかったのに―――残念だ…。それにしても……。
「秋の花かあ…らしいよなぁ…」
ヒカルは呟いた。リンドウと秋はよく似合っている。秋の花だと聞いて、ますますヒカルの
大好きなあの人に、ぴったり合っている様な気がした。

―――――ちりーん…
 どこかの店先から、澄んだ音色が幾つも聞こえる。少しずつ、違う透明な音が、耳に
心地いい。
「風鈴かぁ…」
ヒカルは、音のする方へ駆けて行った。


 「進藤。」
後ろから声をかけられた。振り返ると、アキラが走って、こっちへ来るところだった。
「今、君の家に行こうと思っていたんだ。」
アキラは、ヒカルと肩を並べて言った。
 珍しいな…二人で逢うときは、ヒカルがアキラのところへ行くことがほとんどだった。
逢えば必ず、お互いを求めあうからだ。ヒカルの部屋では、ちょっと気まずい。
「何かあったの?」
ヒカルは首を傾げて、アキラの顔を見た。
「いや…何か、急に逢いたくなって…迷惑だった…?」
ヒカルは、アキラの手をそっと握った。
 すごく嬉しくて、すごく照れくさい。人通りがないから出来ることだ。アキラも手を
軽く握り返してきた。
 そのまま、黙って二人で歩いた。幸いなことに、ヒカルの家まで、誰にも会わなかった。
「寄っていくだろ?」
「ううん…今日は帰るよ…本当にごめん…勝手なことばかりで…」
アキラが微笑んだ。ヒカルはその奇麗な笑みに胸がキュンとなった。何だか、離れがたくて
つないでいる手に力が入る。
「だめだ――!帰っちゃあ…せっかく来たんだから…!泊まっていけよ、な?
 うんって言うまで、手ぇ離さねえからな!」
ヒカルがアキラの腕にしがみついて言った。


(43)
 ヒカルに強引に引き留められ、アキラは仕方なくヒカルの家へ寄ることにした。ヒカルが
帰るのと入れ違いに、ヒカルの母は買い物に出かけてしまった。
 ヒカルの部屋に通され、ソファー代わりにベッドの上に腰掛けた。母親の代わりに、
ヒカルが甲斐甲斐しく、飲み物やら菓子やらを運んでくる。
「ジュース切れてた……紅茶でいいよな?」
「ボクも手伝うよ。」
「だー!オレがするから!塔矢は座ってて!」
ヒカルはアキラを押しとどめた。とは、言うものの、ヒカルの手つきは、見るからに
危なっかしい。
「あち!」
マグカップの中に注いだポットの湯が、ヒカルの手にはねたのだ。
「ほら、やっぱりボクがやるよ。」
アキラの言葉に、ヒカルは渋々、場を開けた。床の上に置かれたポットの前に座って、
ティーバッグに湯を注いだ。
 アキラにカップを手渡されて、ヒカルは複雑な顔をした。何だか面目なさそうな表情を
している。
「オレがサービスしようと思っていたのに…これじゃあ、いつもとおんなじじゃんか…
 オレって役立たず…」
アキラは吹き出してしまった。いつものアキラらしくもなく、声を出して笑った。
役立たず何かじゃないよ。いつだって、君が必要なんだ。わかっているの――――?
「もう!笑うなよ!」
ヒカルが頬を膨らませた。
 「ごめん」と謝って、ヒカルを抱き寄せた。「わわ…!」紅茶をこぼしそうになって、
ヒカルが慌てたが、構わず、アキラは、自分の胸にヒカルの頭を掻き抱いた。ヒカルは、
抵抗せずに、アキラに身体を預けてきた。暫く、二人でそのまま、動かなかった。
「…塔矢……好きだ…」
腕の中のヒカルが小さく言った。


(44)
 アキラの唇が自分の唇に触れた。さっき飲んだ甘い紅茶の味がした。
「ダメだよ…お母さんが帰って来ちゃうよ…」
ヒカルが、抗議の声を上げた。アキラの手が、ヒカルの身体をまさぐり始めたからだ。
「でも、欲しい…だめ?」
アキラに「だめ?」と、聞かれて、「ダメ!」なんて言えるはずがない。自分の間近に、
アキラの奇麗な顔がある。切れ長の目が自分を捕らえて、離さない。「でも…」としか
ヒカルは答えることが出来なくて、アキラの目を見ないようギュッと目を閉じた。
 アキラが、自分の瞼や頬にキスを落としてくる。小鳥がするような、優しいキスを
繰り返されて、
ヒカルの身体から力が抜けた。
 お母さんが帰ってきたら、どうしよう――――そんな心配も、頭の中から消え去っていった。
 ベッドの上に、抱きあったまま倒れ込んだ。アキラは、さっきと変わらない唇が触れるだけの
キスをヒカルに与え続ける。それが、途切れたとき、そっとヒカルは、目を開けてみた。
アキラが優しい目でヒカルを見つめていた。その瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「塔矢…?」
「冗談だよ…」
そう言って、アキラはヒカルの上からどいた。
「バレて、会えなくなると嫌だしね。」
ヒカルは少し拍子抜けした。せっかく覚悟を決めたのに…。からかわれただけなんて…。
 呆然としているヒカルの前で、アキラは衣服を整えた。
「やっぱり、帰るよ。我慢できなくなると困るから…」
「それとも、キミがボクのところに来てくれる?」


(45)
 「行くよ!」
ヒカルは、考えるまでもなく即答した。アキラが、驚いた顔でヒカルを見つめた。
あんまりまじまじと見るので、ヒカルは恥ずかしくなった。
 だって、今日のアキラは何となく…いや、絶対ヘンだ。独りにしておきたくない。
何より自分が一緒にいたい。
「でも、家でメシ食ってからにしようぜ。でないと、塔矢またコンビニ弁当だろ?」
「それから、おマエん家に行く前に、どっかで花火買おーぜ。」
「花火?」
はしゃいで言うヒカルに、アキラが怪訝な顔で聞き返した。
「やっぱ、夏の風物は花火だろ?オレ、今年はまだ一度もやってない。」
アキラは、笑ってヒカルの提案を受け入れた。


 ヒカルとアキラは並んで、夜道を歩いた。ここでは、星があまり見えないのが残念だ。
「おばさんに悪いことしたね…」
「気にしねー。お母さん、塔矢が一人暮らしだから気になるんだよ。
 だって、しょっちゅう、あれ持ってけ、これ持ってけってうるさいもん。」
 ヒカルの母は、てっきり、アキラが泊まっていくものと思っていた。最初は、ヒカルだって
そのつもりだった。だが、アキラがどうしても帰ると言うのを、止めることは出来ない。
なら、ヒカルがついて行くしかない。だって…アキラの様子がおかしいから…。
「進藤…手をつないでもいい?」
アキラが、躊躇いがちにヒカルに訊ねた。
「ば…聞くなよ…そんなこと………いいよ…」
 アキラに手を引かれるように、ヒカルは歩いた。そう言えば、初めて、キスした時も、
こんな風にして帰ったな…。ヒカルは、急に全身が熱くなった様な気がした。



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル