再生 41 - 45
(41)
緒方は、瞬間言葉に詰まった。
今…こいつは何を言った…?
本気で言っているのか?
馬鹿なことを言うな―――――!
と、怒鳴ろうとして……出来なかった。
ヒカルの瞳があまりに静かに澄んでいたので…。
緒方はヒカルの視線を、真っ直ぐ受け止めることが出来なかった。
思わず、目を逸らした。
逸らした時点で、負けたと思った。
「お前…正気か…?本当に平気なのか?」
ヒカルがアキラと離れて平気でいられるわけがない。
いや、それよりアキラはどうなるんだ!?
煙草を取り出し火を点けようとした。
動揺している心を静めようと思った……うまく点かない。
チッと小さく舌打ちをした。
緒方は、火の点いていない煙草を灰皿にねじ込んだ。
「すんだことだと言っただろう…?」
声を押し殺して言った。
あれだけ言ったのにまだわからないのか?
どうすれば、この子供は納得するんだ。
「まだ、すんでねぇよ!!」
突然、ヒカルが叫んだ。
自分の正面に回り込んで、両腕を掴んだ。
細い指先が腕に食い込んでくる。
緒方を見つめるヒカルの瞳に、涙が溜まっていった。
(42)
「ちがう…!ちがうよ!」
すんだことなんかじゃない!
「だって……先生は…塔矢に…何も言ってねぇじゃんか!」
緒方がなくしたと思っている物は、ちゃんと手の中にあるのに…!
緒方が気づけば、すぐにでも戻ってくるのに…!
どうしてそれがわからないのだろう…。
ヒカルと同じ後悔をして欲しくない。
ヒカルがいくら言ってもだめなのだ。
自分で気づかなければ…!
「ちゃんと言わなきゃだめなんだよ…!大切な人にそのことを…!」
自己満足でも何でもいい…言わなきゃもっと後悔する。
アキラだって今のままじゃ―――――
本当のことを知らないまま、先生を憎み続けるの?
そんなの辛い……塔矢も…先生も…それからオレも…。
とても苦しい……。
「オレのことはオレの問題なんだよ…先生には関係ねェ…」
緒方がヒカルに遠慮をしているのなら、それは間違いだ。
絶対に間違っている。
苦しい 苦しい 苦しい 苦しくて痛い
「わかってよ……」
―――為…佐為…助けてよ…苦しいんだよ……すごくすごく痛いんだよぉ
ヒカルは緒方の胸にすがった。
泣きながら拳を広い胸に叩き付ける。
(43)
「俺のことは俺の問題だ。お前には関係ない。」
何度、ヒカルに向かって言っただろうか?
今、ヒカルが同じ言葉を自分に言っている。
胸が痛い。
殴られたせいではない。
胸の奥のずっと深いところ…見えないところが痛い。
ヒカルを守ろうとして、かえって傷つけていた。
緒方がヒカルを守ろうとしたように、ヒカルも緒方を守ろうとした。
アキラと自分のことで、ヒカルはずっと傷ついていた。
ヒカルが緒方の顔を見上げている。
涙で汚れた頬を拭おうともしない。
「すまなかった…」
その途端、ヒカルは声を上げて泣き始めた。
ヒカルの薄い体をそっと抱きしめた。
(44)
ヒカルは緒方の胸に顔を埋めた。
しゃくり上げるヒカルを宥めるように、低い声が優しく囁く。
「お前は言ったのか?大切な人に…」
緒方の胸に顔を押しつけたまま、ヒカルは黙って首を振った。
言えなかった…。肝心なことは何一つ…。
だって、ずっと一緒だと思っていたから…。
突然いなくなるなんて思っても見なかった。
『ありがとう』…『ごめん』…それから…『大好き』……。
大事なことは何も言っていない。
『さよなら』さえも…。
…佐為…大好き――――
今はもう、夢の中でしか会えない。
「…辛かったな……」
大きな手が背中をさすった。
止まりかけた涙が、また、溢れてきた。
(45)
自分の腕の中で、泣き続けるヒカルの髪をそっと梳いた。
壊さぬよう、出来るだけ優しく。
ヒカルの額や頬に口づける。
瞼に唇を押し当て、そのまま目に溜まっている涙を舌で拭った。
詳しいことはわからない。
でも、ヒカルも大切な人を失ったのだと朧気ながら理解した。
アキラとは別の大事な人……。
その相手は、もう二度とヒカルの手の中には、戻ってこないのだろう………。
泣いているヒカルを宥めるのは二度目だ。
あの時とは違う感情が芽生えているのを、緒方は自覚していた。
嗚咽を漏らす唇にそっと触れた。
ヒカルは嫌がるそぶりを見せなかった。
力を抜いて緒方に体を預けている。
「いいのか…?」
ヒカルの耳に唇を寄せて囁いた。
ヒカルは目を閉じて、小さく頷いた。
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