うたかた 42 - 43


(42)
『冴木って誰だ?今そこにいんのか?』
 明らかにさっきより機嫌が悪くなっている加賀の声に、ヒカルは慌てた。
「いや、あの、ほら、えっと…」
 ヒカルは言い訳をしようとしながらも、なんで自分が言い訳しようとしているのかわからなかった。これでは浮気していたみたいではないか。
(でもキスしちゃったし…。)
『おまえ家にいるのか?』
「え?うん…」
『じゃあ今から行く。』
「はあ!?」
『なんだよ、オレが行くと都合悪いことでもあんのか?』
 いつもより低く押し殺した声は、加賀が怒っている印だ。ヒカルは背中が冷たくなるのがわかった。
「わかった、待ってる…。」
 電話の切れる音が、どこか遠くで聞こえた気がした。
「…加賀が今から来るって。」
 通話に気を取られていて気が付かなかったが、今の自分の格好を見ると、加賀から借りたアロハが片腕だけ脱がされていて、下のシャツも捲り上げられていた。
「そうか、残念。」
 冴木は爽やかに笑うと、ヒカルの肌から手を離した。
「修羅場になる前に帰ろうかな。進藤もその方がいいだろう?」
 答えに詰まるヒカルの柔らかい頬を軽くつまむ。
「それに、今日は充分収穫あったしね。」
「……!」
「進藤はすぐ赤くなるなぁ。期待しちゃうじゃないか。」
「はっ…早く帰れよ!!」
 ヒカルは冴木の背をぐいぐいと押して、ドアの前へ連れて行った。
「玄関の外まで見送ってくれよ。」
 手を繋ごうとすると、ヒカルは両手を背に回して隠してしまった。
「そんなに警戒しなくても…。」
(…まあ、そんなとこも可愛いんだけどね。)
 どうやらだいぶ重症らしい。


(43)
 雨は止みそうで止まなかった。
 ヒカルは肩や腰に伸びてくる冴木の腕をかわしながら、玄関の外へ出た。
 まだ昼を少しばかり過ぎた時間なのに、空は暗く重い。生暖かいが強い風は、これから上陸する台風が並みのものではないことを示していた。
「じゃあ、気を付けてね。」
「ああ。」
 そう言って顔を近付けようとすると、ヒカルが素早く冴木の唇を手で押さえつけた。
「だめだからな!」
 あまりにも必死で抵抗する姿に、傷つくどころか笑えてしまう。
「わかったよ。」
 バイクの音が段々大きくなってくる。ヒカルはそっちの方を見て顔を輝かせた。
(あれが、加賀か…。)
 よほどスピードを出してきたらしい。徐行して止まるのではなく、思いきりブレーキをかけて加賀のバイクは停止した。
 メットを外し、バイクから降りた加賀を改めて見て、冴木は嫌な予感がした。
 どうせ高校生のガキだと侮っていたが、身長は自分と変わらない程あるし、顔立ちも整っていた。そして何より、その瞳は全然子供のものではなかった。
(なんでこんなに世の中酸いも甘いも知ったような瞳してんだ、こいつ…。)
 加賀は二人の方へ歩いてきて、まっすぐ冴木を睨み付けた。
 そのままお互い値踏みするように、上から下までじろじろと見る。険悪な雰囲気を感じ取って、ヒカルが二人の間に入った。
「さ、冴木さん、もう帰るんだよね。気を付けてね。」
 引きつった笑顔でさっきと同じ台詞を繰り返すヒカルに、冴木は余裕の笑みを返した。
「ああ、進藤ももう一度髪よく拭いておくんだよ。」
「うん。」
 頷くヒカルにもう一度微笑んで、冴木は車に乗り込んだ。
「そうだ進藤、ちょっと。」
 窓を開けて手招きする。口元に片手を当てて、内緒話のようなポーズをとると、ヒカルはすぐに察して耳を近付けた。
 すかさず音を立てて頬に口づける。
「こういうベタな手に引っかかるのが、進藤の可愛い所だよね。」
「っ…!!」
 テメェ、と低く呟いた加賀を無視して、冴木は車を発進させた。



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