初めての体験 43
(43)
「…桑原先生…か…」
ヒカルが小さく呟いた。
「呼んだかね?」
ギョッとして振り返ったヒカルの目の前に、小柄な老人がイベントの主催者達と一緒に
立っていた。
「――――!」
ヒカルは悲鳴を上げたが、幸か不幸かそれは音としては伝わらなかった。口をパクパクさせて、
狼狽えるヒカルを桑原は面白そうに眺めた。
「ど…ど…して…ここに…」
ヒカルは、喘ぎながら何とかそれだけ言うことができた。
「なぁに――わしも年だから休養をかねて遊びに来たんじゃよ。このイベントにお前さんが
来とるとは思わなかったがの――」
ヒカルは、桑原のニヤニヤ笑いを睨み付けた。絶対にウソだと思った。この老人はヒカルが
ここに来ているのを知っていたのだ。この前みたいに、好きにされてたまるか―!
「何か用ですか?オレまだ仕事があるんですけど―」
ヒカルがつっけんどんに言った。声が僅かに震えていた。
だが、ヒカルの精一杯の虚勢もこの老人には通用しない。
「お前さんの仕事はもう終わりじゃよ。」
「え…?」
ヒカルが、どういう事か問い質そうとしたとき、
「進藤君。桑原先生が君を食事に誘いたいと仰るんだよ。」
と、信じられない言葉が、耳に飛び込んできた。
「こんな機会は滅多にないよ。もうここはいいから、ご一緒させていただきなさい。
桑原先生のような方のお話を聞くだけでも勉強になるから、ね?」
スタッフが、まるで自分が誘われたかのように興奮してしゃべる。皆、口々にヒカルの幸運を
うらやむ言葉を紡いだ。それは、ヒカルにとっては、地獄からの託宣だったのだが…。
「ほれ、行くぞ。小僧。」
呆然と立ち尽くすヒカルの手を引っ張って、桑原は会場を後にした。
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