平安幻想異聞録-異聞- 43 - 44
(43)
座間一行の背を見送ってから、佐為は、ヒカルの手を引き、
近くの控えの間に引き込んだ。
「な、なんだよ、佐為!」
「いいから」
部屋の隅にヒカルを押し込むと、佐為は固く握られたヒカルの手をとった。
強ばったようにきつく結ばれたその手の指を、佐為はゆっくりと、
一本一本、引きはがしていく。
そのヒカルの手のひらは血まみれだった。
ヒカル自身がそれを見て、息を飲んだ。
座間や菅原と対面する緊張のあまり、強く握りしめられた手の爪が、
皮膚を破っていたのだ。
気がついたら、急に傷がズキズキと疼いてきた。
佐為が、少し身をかがめて、こつんとヒカルの額に自分の額をあてた。
「よく我慢しましたね」
それが、傷に対してのものなのか、座間の前から逃げ出さなかったことに
対してのものなのか、ヒカルにはわからなかった。
佐為はヒカルの血に汚れた手を取り、自分の口に持っていく。
そして、その舌で手のひらと指についた血を、丁寧に舐めとっていった。
昔、子供の頃転んだときに、自分のひじや腕の擦り傷を舐めてくれたお母さん
みたいだなぁ、と思いながら、ヒカルはその光景をながめる。
なのに、佐為の、形のよい唇が口付けするように、自分の指をたどり、
手のひらに新たな血がにじみ出るのをすするのを見ているうちに、
こんなにも体が熱くなるのはなぜなのだろう。
かくんとヒカルの膝から力が抜けた。そのヒカルをあわてて佐為がささえる。
佐為の、指へのゆるい接触だけで、立っていられないほど感じてしまったヒカルは、
顔を真っ赤にして佐為にしがみついた。
(44)
「大丈夫ですか?」
佐為が問うのに、ヒカルは黙って頷いて答える。
しがみついたそのヒカルの手で、佐為の白い狩衣が、わずかに血に染まった。
「ごめん……」
小さな声でヒカルがあやまる。
「何言ってるんですか、こんな服の汚れくらい…」
「ちがう!」
ヒカルが、わずかに紅潮したままの顔をあげた。その瞳は、与えられた熱に
うるんで、ひどく扇情的だと佐為は思った。
「ちがうんだ……オレ、佐為の警護役なのに、何にも出来なかった、
動けなかった……だから……」
――本当なら、あの座間の手の者が太刀に手をかけたとき、一歩前に出て前に立ち、
佐為を守る事こそが自分の仕事だったはずだ。だが、その時ヒカルは、座間の視線に
怖じ気づいて、一歩も動くことができなかった――それをヒカルは謝っているのだ。
佐為はふんわりと笑った。
「ヒカルがあやまる必要はないんですよ」
「でも…、」
ヒカルが(え?こんなとこで?)と思ったときにはもう、唇を塞がれていた。
しばらくして、佐為が唇を放していう。
「本当にヒカルが謝る必要なんてないんです。私は、今も充分ヒカルに守って
もらってますから」
「だからって、おまえ…、こんなとこで……」
「大丈夫です。いやならね、ほら、こうして」
そう言って、佐為は笑いながら片腕をあげ、狩衣の白い袖で、二人の顔を廊下から
見えないように隠してしまう。
「こうしておいて、誰かに見とがめられたら、目のゴミを取っていたと言えば
いいのですよ」
「大人って……」
言いかけた、ヒカルの口を、再び佐為の唇が塞いだ。
ヒカルがあきれるほど、長くてやさしい口付けだった。
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