うたかた 44 - 45


(44)
「………」
 冴木の車が見えなくなってしばらく、加賀とヒカルの間に気まずい空気が流れた。
 ふと、加賀の手がヒカルの頬に伸びる。
「え…ちょ、イタッ…痛いよ加賀ぁ!」
 嫌がるヒカルを押さえつけて、加賀は冴木がキスした場所を何度も擦った。
「もう!何するんだよ!!」
「……別に。」
「………怒ってんのか?」
「怒ってねえよ。」
(うそつき。)
 加賀の声は不機嫌なままだ。
 ヒカルは冷たい加賀の手を取って、両手で握りしめた。
「せっかく来たんだから、あがってくだろ?」
 ほんの少し逡巡して、加賀は、ああと短く答えた。

 いつの間にか雨足は強くなってきていた。


(45)
「誰だよ、あいつ。」
 加賀はヒカルの部屋に入るなり、そう言った。
「え?」
 わざととぼけるヒカルを、加賀は方眉を上げて一瞥した。
「あの冴木ってやつと二人っきりで会うと、おまえ喰われるぞ。」
 先ほどまで冴木が座っていた碁盤の前の座布団にドカッと音を立てて座り、胸ポケットからタバコを取り出す。ヒカルは慌てて加賀に近づくと、タバコの箱を奪った。
「オレの部屋は禁煙!!」
 加賀はライターを探す手を止め、ニヤリと笑うと手招きをした。
「じゃあタバコの代わりになるもん寄こせよ。」
「代わりって…」
 言い終わる前に、加賀の唇がヒカルの言葉を飲み込んだ。
 片方の手で後ろ髪を梳き、もう片方の手で猫の仔をあやすようにヒカルの喉元をくすぐる。
 ゆっくり唇を離すと、濡れた音が小さく聞こえた。
「……不意打ちすんな…」
 頬を染めたヒカルが、拗ねたように口をとがらせる。
「おまえがこんなに隙だらけだから、余計に害虫が寄ってくンだよ。」
「…冴木さんはいい人だぞ。」
 あくまで冴木をかばおうとするヒカルに、加賀は舌打ちをして背を向けた。
「前話したことあるだろ、森下師匠の研究会に行ってるって。冴木さんは森下門下の一人なんだ。」
「………。」
 黙ったままの加賀の背中に、ヒカルは遠慮がちに抱きついた。
「きっと、一瞬の気の迷いか、オレのこと少しからかっただけなんだよ。冴木さん彼女いるもん。」
「遊びなら、なおさらタチ悪ィだろ。」
 ヒカルはそれ以上言葉を紡ぐことができず、ため息をついて加賀の背中に片頬を押し当てた。



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