落日 七章


(45)
高熱にうなされながら、彼は夢を見ていた。
熱に浮かされた歪んだ視界の向こうに、白い人影が見えたような気がした。
懐かしいその人に手を伸ばし、温かな身体に抱きついた。焚き染められた香の薫りにうっとりと
酔った。優しい手が彼の髪を撫でるのを感じた。手はそのまま彼の衣の中へ滑り込み、彼の身体
を開いていく。優しい手の、唇の、通る跡からヒカルの身体は熱く燃え上がる。ヒカルの身体の上
を這う熱く濡れた感触に、喜びにも似た期待で彼の身体はひくりと震え、背筋をざわざわと何かが
伝うように感じる。身体の中心に熱が集まってくるのを感じる。圧し掛かる身体が、抱きしめる腕が
熱く燃え上がってくるのを感じる。もっと熱く。もっと激しく。早くそれが欲しい。誰よりも熱いおまえ
自身が欲しい。生きているその証を俺に与えてくれ。

「あっ、あああーー!!」
夢の中でヒカルは、待ち望んでいた熱い楔に歓喜の声を上げていた。
「あ、やぁ…、ん…んんっ……はっ…はぁっ…ぁあ……ぁ……い、…」
夢中になって彼の名を呼んだ。呼び声に応えるように、彼が自分の名を呼ぶのがわかった。嬉し
くて、悲鳴にも近い声を上げながら彼の身体にしがみついた。声に応えて一際強く打ち付ける動き
に絶頂の予感を感じて、より深く彼を感じようと、腰を動かした。
その時。
「……?」
熱く激しく動きながらヒカルを燃え立たせていた身体は突如その動きも熱も失い、ずっしりと冷たく
重く、ヒカルの身体に圧し掛かる。
呆然と、その冷たい体の背に手を回した。
「…いやだっ……どうし…て、」
絶望に震えそうになりながら重く冷たい身体を抱きしめた。
重たい身体がしがみ付いたヒカルごと、じわじわと水底へと引き込まれていくのを感じる。
淀んだ水の匂い。湿った泥の匂い。
次第に身体の奥まで染み透っていくように感じる冷たい、冷たい水。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
誰か助けて。
誰か。


(46)
「……近衛、」
助けを求めるヒカルの声に応えるように、耳に優しい声が届く。これは誰の声だったろう。思い出
せない。けど、誰だかわからないけれど、とても優しい声。優しくて、温かくて、だから…
「おまえは俺が守ってやる。」
この声は誰だったろう。わからない。わからないけど、でもこの声が優しいから、この胸が温かい
から、温もりを求めるように、広い胸に縋りつく。けれどそうして安らぎを感じていたのは一瞬の事
で、強い力で肩を掴まれて、ヒカルは身を縮こまらせる。けれどその手は強引にヒカルの顔を上
げさせ、誰かが自分を覗き込んでいるのを感じる。これは誰だ?なぜこんな恐ろしい目で自分を
見る?やめてくれよ。怖いよ。どうして?どうしてそんな怖い目で俺を見るんだ?それまではずっ
と、ずっと、優しくて、あったかい目で「大好きだよ。」と言ってくれた目が、どうして今はそんなに
恐ろしく底光りしているんだ?
「俺を、見ろよ…っ!」
知らない人に変貌してしまった彼が強引にヒカルの肩を揺さぶる。
「やっ…」
優しく温かい胸に縋り付いていたヒカルの身体は、そこから無理矢理引き剥がされる。そのまま
腰を掴まれて引き摺られるヒカルがどんなに手を伸ばしても、もう、そこには届かない。
「あ、いや…、」
ヒカルを捕らえた腕はけれどそのまま乱暴にヒカルの下肢を割り開く。
「いや、いやだっ……いや、やあああっ!!」


(47)
暴れる四肢をものともせず強引に割り込んできた肉に、ヒカルは悲鳴を上げる。けれどそれは
むしろヒカルの抵抗を、叫び声を楽しむかのように、乱暴に動き始める。悲鳴を上げ続けるヒカル
の顔が掴まれて無理矢理口を開けさせられ、押し込まれる。前後から貫かれてヒカルはもはや
声をあげることもできない。ヒカルを後ろから突き刺していた男が突如引き剥がされたかと思うと、
別の男がすかさず彼を捕らえて貫く。嫌悪しかないはずなのに、それでも自分の身体は快感に
支配され、意思に反して肉体は与えられる刺激を貪欲に貪る。頭の奥では嫌だ、と、もうやめて
くれ、と、悲鳴を上げているのに、自分の口から漏れる声は明らかに嬌声で。
「もう、ダメ…やっ、やあっ…あ、あぁ、もう…、許して…ぇ…」
けれどどれほど泣き叫び、哀願し、懇願しても許される事は無く、それらはヒカルを身体ごと心
ごと苛む。身体の外から、内から、黒い汚濁に汚され、そこから爛れ腐って崩れてしまいそうに
感じるのに、身体は尚快楽を感じて、震え、咽び泣く。熟れ過ぎて潰れる寸前の果実の放つ香
は芳香なのか腐臭なのか。
「ああああーーーーー!!」
絶叫と共に押し潰される。体全体にかかる重みに、腐った自分自身もぐしゃりと潰され、もはや
その形状も残していないように感じた。
それなのに、意識はいまだ完全に失われはせず、ぱたり、と顔に何かが滴り落ちる。
「ひっ…」
恐怖の記憶に身体を縮こまらせた彼の顔を濡らすのは、冷たい池の水ではなく、温かく生臭い
血しぶき。背にかぶさる身体は力を失って彼を押し潰すようにくず折れるのに、まるで最期の
抵抗のように、爛れ崩れそうに感じる自分自身の内部ではまだ何かがビクビクと蠢く。
「うわぁあああああああああああああ!!!」


(48)
自らの放つ絶叫に彼は悪夢から現し世へと引き戻される。
「あ…」
思わず漏らした声は低く掠れ、もはや身を起こすだけの力もなく、ただ呆然と眼を見開いて天井を
見つめる。その木目が、ぐにゃりと歪んだ。歪んだ映像はまるでこの世に恨みつらみを持って彷徨
う怨霊のようで、ヒカルはぎゅっと目をつぶる。
けれど目の裏には誰かの顔が映ったと思うと歪んだ映像は別の人物の顔に変わり、目まぐるしく
浮んでは消えてゆくその人たちがどこの誰であったのかを認識する間もない。それは良く知って
いる人のようであり、見たことも無い人のようでもあり、一瞬、懐かしさを感じて引き止めようと思って
も次の瞬間には別の姿に移り変わる。
最後に見えた白い面に向かって手を伸ばそうとしてもそれは遅すぎて、涙を流しながら目を開けた
ヒカルの視界は夕映えに紅く染められていた。

赤く燃えるような色に誘われるように寝台から這い出し、御簾を開けて外界に出たヒカルの目に、
壮大な落日に赤く照らされた世界が映る。燃え尽き落ちる寸前の太陽の最後の力が、世界中を
呪うように毒々しく赤く、全てを血の色に染め上げていた。
何もかもが赤く照らされている光景の中で、自分が血の海に溺れかけているような気がした。
壊れてしまう、と、思った。
いっそ壊れてしまった方がいい。
好きだとか嫌いだとか、いいとか嫌だとか、そんなもの、全部要らない。考えたくない。感じたくない。
いっそ壊れきってしまえば、痛いとか苦しいとか悲しいとか辛いとか、そんなものも全部感じなくなる。
もう、壊れかけているのかもしれない。
それでいい。
己など失くしてしまえばいい。
何もかも手放して、何もかも失くして、全て忘れてしまいたい。
この赤い、血の海に溺れて、己など全て失くしてしまいたい。
もはや己をここに引き止めるものは何もない。
落日のその最後の力が次第に光を失ってゆく中、ヒカルもまた闇の世界へと沈み込んで行った。



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