Linkage 46 - 50
(46)
「アキラ君、気分転換にドライブでも行くか?」
日は暮れたものの、夕食にはまだ早い。
明るく振る舞おうと努力しつつも、やはり謎の少年との一局によるショックを隠しきれない
アキラの様子を慮り、緒方はそう提案した。
「どこに行くんですか?」
緒方の本棚にあった熱帯魚の写真集をソファに腰掛けて見ていたアキラは、顔を上げ、
興味深げに尋ねた。
「これからだと、そう遠くまでは行かないがね。そうだな……横浜にでも行ってみるか。
夕飯は中華街で食べないか?」
「中華街って関帝廟があるところですよね?」
アキラの言葉に緒方は僅かに驚きの表情を見せる。
「関帝廟とは随分詳しいな。三国志が好きなのかい?」
アキラはニコッと笑って頷くと、立ち上がって本棚に歩み寄る。
「緒方さんも何冊も持ってるじゃないですか。ボク、こんないろんな種類の三国志は読んでないなぁ……」
楽しそうに本棚を覗き込むアキラに、緒方は優しく語りかけた。
「読みたいなら貸すから、遠慮なく言ってくれよ。アキラ君、夕飯は中華でいいんだな?」
「もちろんっ!」
元気よく答えるアキラに緒方は頷くと、アキラの肩を叩く。
「それじゃあ出発するか。どうせここに戻ってくるんだから、アキラ君は上着以外、
何も持たなくていいぞ」
アキラは緒方の言葉に従い、ソファの脇に置いてあった紺色のピーコートを手にすると、
黒いレザージャケットを羽織りながら玄関へと向かう緒方の後についていった。
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マンションから出て高速に乗るまでは多少もたついたものの、都心から横浜へ向かう東名高速は緒方の予想以上に
スムーズに流れおり、勢いアクセルを踏み込む脚に力が入る。
アキラはそんな緒方の運転技術を信頼しているのか、じっと窓の外に見入っていたが、ふと緒方の方を振り向くと、
口を開いた。
「いまかかってる曲、なんて言う曲ですか?聞いたことがあるような気がするんですけど……」
「この曲かい?"SOMEONE TO WATCH OVER ME"……ガーシュウィンのバラードだよ。いろんなところで使われているから、
アキラ君も聞いたことがあるだろうな。今歌っているのはエラ・フィッツジェラルドという有名なジャズ・シンガーだ」
アキラは緒方が教えてくれたタイトルを小声で呟いてはみたが、意味がわからないのか首を傾げる。
「ハハハ。小学生には難しいか。まあ映画のタイトルだと『誰かに見られてる』なんて物騒な訳になっていたが、
本来は『誰かが見守っている』という意味なんだろうな」
「それって、なんだかいいですね。緒方さんみたいだな……」
前方を見ていた緒方が、一瞬アキラの方を見遣った。
「オレみたい……?どういう意味だい?」
アキラは再び前方に視線を戻した緒方の顔を覗き込むと、クスクスと笑う。
「だって、今夜は緒方さんがボクのことを見守ってくれるでしょ!」
「なるほど。アキラ君に一本取られたな」
緒方は笑いながらハンドルを握っていた左手を離すと、アキラの頭をポンポンと軽く叩いた。
「さて、そろそろ出口だ。結構早かったな」
頷くアキラを横目に、緒方は左にウィンカーを出した。
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ライトアップされた絢爛豪華な関帝廟を見て回った後、2人はアキラの希望で、大通り沿いの有名店ではなく、
脇道を入った庶民的な店に入る。
テーブルに並べられた大根餅や皮蛋豆腐を見た瞬間、ビールを注文したい衝動に駆られる緒方だったが、
グッと堪えてアキラと同じ烏龍茶で我慢し、和やかに食事を終えた。
マンションに帰宅した頃には9時近くになっていた。
浴槽に湯を溜め、アキラに先に入浴するよう勧める。
「……緒方さん、一緒に入らないんですか?ボクが小さい頃、ウチでよく入ったじゃないですか」
「アキラ君のところとウチじゃ、広さがまったく違うぞ。アキラ君が小さい頃なら、ここでも十分余裕を
持って2人で入れただろうが……」
苦笑しながらそう話す緒方に、アキラは「そうかぁ……」と残念そうに呟くと、素直に緒方の勧めに従った。
アキラが浴室に消えると、緒方は慌ててアキラのパジャマの代わりになりそうな服を探し始める。
クローゼットの中を掻き分けて、ようやく厚手の柔らかな白いコットンシャツを引っ張り出したはいいが、
下に履かせるものがない。
よくよく考えてみれば下着もない。
散らかったクローゼットの前で仁王立ちになりながら、緒方は唸った。
「緒方さん、どうしたんですか?」
入浴を終えたアキラは、腰にバスタオルを巻いた姿で緒方の前に現れた。
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「ア…アキラ君、もう出たのか……。いやな、キミのパジャマ代わりの服を探していたんだが……」
そう言って緒方はコットンシャツをアキラに手渡すと、再びクローゼットを睨み、今度はブツブツ呟き始める。
「……パンツはなァ……オレのを履かせるわけにもいかんし……。取り敢えずパジャマの下になるような服は……」
「あの……緒方さん、ボクこれでいいですよ」
アキラはクローゼットの棚からはみ出したベージュの麻のバミューダパンツを指差した。
「これかァ?寒くないか?」
緒方はバミューダパンツを引っ張り出すと、目の前に広げ、まじまじと眺めながらアキラに尋ねた。
「暖房が効いてるし、大丈夫ですよ。……パンツは……無くても、ボク……」
頬を赤らめながら恥ずかしそうに笑うアキラに、緒方は頭を掻いた。
「さっき脱いだ下着は、洗濯乾燥機にかければ明日の朝までには乾くから……、じゃあ今夜は我慢してもらうか」
緒方の言葉にアキラは頷くと、緒方の目の前で早速コットンシャツとバミューダパンツ姿に着替える。
「オレもサッと風呂に入ってくるから、アキラ君は冷蔵庫からペリエでも出して飲んでいてくれ。
……それにしても、このシャツがもっと薄手なら完全にリゾートルックだな」
アキラには長すぎる袖の部分をまくってやりながら、緒方は肩をすくめて笑った。
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ソファに腰掛け、ペリエを飲みながらドライブに行く前に見ていた熱帯魚の写真集をパラパラめくっていた
アキラの前に、バスローブ姿の緒方が現れた。
「アキラ君の周りだけは南国リゾートだな」
散らかったクローゼットを手早く片付けながら、アキラに向かって楽しそうに語りかける。
アキラはクスッと笑うと、立ち上がって緒方の側に歩み寄り、クローゼットを覗き込みながら尋ねた。
「ボクも何か手伝いましょうか?」
「もうすぐ終わるから大丈夫だ。それより洗面所に歯ブラシを用意してあるから、歯を磨いておいで。
そろそろ寝ないと、明日は学校だろ?」
壁の時計は10時半をちょうど過ぎようとしている。
アキラは小さく頷き、大人しく洗面所へ向かった。
片付けを終えクローゼットの扉を閉めると、緒方はアーロンチェアに腰掛け、PCデスク横の引き出しから
以前小野から貰った薬の説明書を取り出した。
服用量についての注意事項を何度も読み返す。
(取り敢えずは……オレの半分にしておくか……)
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