Shangri-La 46 - 50
(46)
この扉を開けてもよいものだろうか?
ヒカルの部屋の前で、もう一度考えながら、
ノブを握る手にそっと力を込めると、ドアはあっさり開き、
ベッドの上で大の字に寝ころんだヒカルが目に飛び込んだ。
側によると、規則正しい寝息を立ててぐっすりと眠っている。
アキラは拍子抜けして一瞬呆けたが、
慌ててヒカルに布団をかけ直してやった。
今に始まったことでもないが、自分のためだけに
ヒカルに色々なことを押し付けてきたのは百も承知だ。
でも、部屋から出された時の、怒気を含んだヒカルの声が消えない。
またこうして、ヒカルの寝顔を見られる日は来るだろうか?
また以前のように抱き締めてはもらえるだろうか?
考えれば考えるだけ深みに嵌まっていく――今のアキラには、
ネガティブな思考を打ち消すだけの自信も余裕もなかった。
眠っているのなら、今日はもう帰ってしまおう。
昨日の今日で顔を合わせてしまえば気まずいし辛いけど
少し時間が経てば気持ちも落ち着くだろうし、
もしかしたらうまい対処方法も浮かぶかもしれない。
アキラはそれまでとは打って変わった
きびきびとした動きで手早く服を着ると
枕元の床に膝を突いて、ヒカルの寝顔を眺めた。
ヒカルはぐっすりと眠っている。
その安らかさこそが、アキラの心を締めつけた。
その苦しさに視界が白くぼやけてゆき、やがて何も見えなくなった。
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ヒカルの意識が覚めたのは、6時少し前のことだった。
目は開かないが、病院での習慣として身に付いた起床時間だ。
何気なく伸ばした手が、空を切る。
その違和感に弾かれたように飛び起きると、
ヒカルは一人、自室のベッドの上だった。
慌てて周囲を見渡すと、アキラがすぐ目の前で
ベッドの端にやっと引っ掛かるように両腕をついて
こちらを見るようにして眠っている。
なんでこんなところで寝てんだろ、と考えながら
アキラの頬を指でそっと押すと
頬の肉が寄って、アキラの端正な顔が少し歪んだ。
本当なら昨日は、一人でゆっくりこれまでのことを整理するはずだったのに。
いろんな事がありすぎて、頭がいっぱいだったのに
コイツが無理やり割り込んできて、全部追い出して好き放題して…
ったく、何なんだよ。まったく……勝手だよなぁ。
今度は、頬を軽くつまんでみる。
(ぶっ……変なカオ…)
アキラが起きてこのことを知ったら怒りそうだ。
秘密の形をしたアキラの顔に、少しだけ和んだ。
指を放してアキラに声をかけ、ベッドで寝るよう促すと、
アキラは驚いたように目を見開いて、ヒカルを見つめた。
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ヒカルの声は、いつかのように穏やかで優しかった。
顔を合わせるのが怖くて仕方がなかったアキラは、その優しさに驚いた。
「どうしたんだよ。オレの顔がどうかした?オレの後ろになんか―――」
ヒカルはそこで息を飲み、大きな動作で後ろを振り返った。
何もないことを確かめ、上も周りも見回し一瞬渋い顔をしたが
すぐその色を消し、アキラに向き直った。
「何もいないじゃん、ほら」
ヒカルはアキラの腕を取り、ベッドに引き上げ腕の中に収めた。
「大体なんでオマエだけ服着てんだよ…なんか邪魔」
呟きながら、ヒカルは慣れた手つきでアキラを剥いていく。
アキラはどうしていいか分からなくて、ごめん、とだけ答えて
後はされるがままでいた。直に触れる肌の温かさが嬉しかった。
ヒカルは素っ裸にしたアキラを一度きゅっと抱き締めると、
アキラの顔を覗き込み、指の背でアキラの頬を撫で上げた。
この後、ヒカルが何を言うか心配でたまらない。
アキラは目を閉じ、身を堅くしていた。心臓がきりきりと痛む。
そんなアキラの頬には、うっすら一筋の線が
眦から耳たぶの辺りまで見て取れた。
ヒカルはアキラの涙なんて見たことが無かったし、
泣くなんて想像もつかなかった。が、それは確かに涙の跡と思えた。
ヒカルはそれを拭うように、舌と唇でそのラインをゆっくりとなぞった。
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ヒカルの口づけを頬に受けながら、アキラは初めて泣いたことに気づき、
また、帰るつもりが眠ってしまった自分を、かつてない程に呪った。
何を言われても躱しきる自信は、まだない。
「塔矢、どうしちゃったの?オマエ、おかしいよ」
その言葉には棘もいらだちもなかったが、余裕のないアキラはそれに気づかなかった。
―――来た………!
構えてはいたけれど、体中の血が一瞬で沸騰したような気がする。
この後、何を言うだろうか?昨日のボクに何を思っただろうか?
平静を装ってみても、これだけ身体が密着していれば
動揺していることなんか、あっさりバレてしまうだろう。
それでも努めて平静を装い、なにが、と聞き返した。
一方ヒカルは、何がおかしいのか聞かれても、答えようが無い。
全体的におかしかったんだもんなー…。
「だって、えーと、ほら、今だって、なんでそんなとこで寝てんだよ?
ベッドで寝ればいいじゃん。しかも一人で服まで着ちゃってさぁ…」
(なんだ、そんなことか。そんなのボクだって知りたいよ…大失敗だ)
「え?あ、そうだね、そういえば、なんでだろ…?」
「それに昨日だって、一緒に風呂入るって言ったり、襲ってきたり、
えーと、あと、んーと……」
アキラが淫乱すぎて驚いた、とヒカルは思ったが、口にすることは憚られた。
「襲った?襲うって…ボクが?キミを?」
「そうだよ。オマエ、覚えてないの?」
「確かに、キミとしたけど…ボクが、ボクから……?
ちょっと待って、頭の中、整理するから…」
「いっ、いいよ!覚えてないんなら、いいから、忘れてろよ」
ヒカルの言葉に構わず、アキラは慌てて記憶を辿る。
昨日の夕方からの記憶は、ヒカルを寝かしつけて、
それでもヒカルが夜半に起きてしまっていたところで途切れ
あとはただ激しく交わっていた事と、ヒカルに拒絶され後悔した記憶。
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最悪だ…………
入眠時の記憶がなくなる事は、頻繁ではないが
両親が家を空けるようになってから、時々経験していた。
ただ、これまでは、自宅で一人の時ばかりだったから
記憶が無い時間に何をしたのか、考えたことはなかった。
ヒカルとセックスしたことはたいした問題ではない。
もしヒカルが本当に眠れないというのなら
最終手段として考えていたからだ。
食事と睡眠は、生命維持の面から言えば最も重要な要素で
それが出来ない、摂りたいと思わないと言い切るヒカルは
絶対危険な状態に違いないし、
嫌だと言うなら、無理にでも摂取させるしかない。
食事はなんとかとれたし、睡眠だって大丈夫かも、と思っていた。
が、夜半にヒカルが起きてしまっていたのを見て
強制的に眠りにつかせる方法はないか、一瞬のうちに考え
結論として、ヒカルを襲う気になったのは事実だ。
いかに深い眠りを誘うか、分かっていたから――。
お風呂では勃ったし、できるはずだと思った。
それより問題は、その襲い方だ。
ヒカルの中の自分は、昨晩の記憶にあるような事を
するようなキャラクターではない。
どこか夢を見ているようで、なのに確かにヒカルをとらえていた記憶。
夢と現実との境目がすごく曖昧で、ふわふわと足下がおぼつかない状態で
促されるままに、いやそれ以上に、淫らに振る舞った記憶―――
そこから推察すると、凄いことをして誘ったのかもしれない。
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