再生 46 - 50
(46)
緒方の体の下で、ヒカルは唱え続けた。
佐為………好き……大好き……と、心の中で―――。
緒方がヒカルの考えを読んだかのように、囁いた。
「誰のことを考えている?アキラのことか?」
ヒカルは、小さく首を振った。
そうか…と緒方は呟いた。
「…その大切な人に…言いたかったんだな…」
体が震えた。
先生は気づいているの?
オレが先生を通して見ていたものを―――――
「そいつは俺に似ているのか?」
「に…似ていない…どこも…それなのに…」
どうして……?ヒカルは喘ぐように言った。
どうして、求めてしまうのだろう――――
喉の奥に、何か熱いものがこみ上げてきた。
あの時、初めて、自分が緒方に佐為を重ねていたことに気がついた。
緒方の部屋の中…彼とアキラの決別の日――――
いや……本当はずっと前から、緒方に佐為の面影を探そうとしていた。
佐為にしていたのと同じように、緒方に甘え、我が儘を言うのが気持ちよかった。
言いたい言葉を呑み込んだ緒方と佐為がだぶって見えた。そして、ヒカル自身が……。
傷ついた佐為―――「好き」と言えなかったヒカル―――
贖罪にも似た気持ちがあった。
ヒカルの目に、また涙が滲んだ。
「ひっ」
緒方がヒカルを引き裂こうとする。
歯を食いしばって痛みに耐えた。
ヒカルは緒方の首にしがみついた。涙が頬を伝う。
「せ…せんせ…オレを…めちゃくちゃにして……こわして…おねがい…」
ヒカルの言葉は緒方の唇に吸い取られた。
(47)
壊すだって――――?
そんなこと出来るはずがない。
こんなに弱くて脆いものを乱暴に扱えるわけがない。
アキラを怒りの赴くまま、手荒く抱いたが、残ったものは後悔と虚しさだけだった。
あの胸の痛みは今も忘れられない。これから先も…ずっと―――
ましてや今、ヒカルに対して抱いているのは、
ほんの少しの哀れみと、余るほどの愛しさだけだ。
「くぅ……ん…」
ヒカルの顔が苦痛に歪んだ。
緒方はヒカルの背中に手を差し入れ、体を少し浮かせた。
ヒカルの体を少しずつ起こしながら、それに合わせて更に深く体をすすめた。
「あぁ―――」
ヒカルの体を腕で支えて、完全に起きあがらせた。
ヒカルが喉の奥で小さく悲鳴を上げて、背中を仰け反らせた。
小さな息遣いが肌を伝う。
ヒカルは緒方にしがみついたまま、膝の上でじっとしていた。
震えているようだった。
「……進藤…」
声をかけると、ますます強くしがみついてきた。
それを了解の印と受け取って、ゆっくりと体を揺すり始めた。
「う…あ…」
ヒカルが断続的に呻く。
必死に、声を噛み殺しているようだ。
ヒカルに辛い思いをさせたくない。
ヒカルが可愛かった。
ヒカルの頬や髪に口づけ、背中を宥めるように撫でた。
性急な真似をせず、ゆっくりとヒカルに合わせる。
「ア…ハァ…ん…」
徐々に、喘ぎ声に艶が混じり、ヒカルも緒方の動きに合わせ始めた。
緒方を掻き抱く腕に、ヒカルが力を込めてくる。
「せんせ…こわして…オレを…」
ヒカルは譫言のように、何度も何度も繰り返した。
指で目尻に堪った涙を拭ってやると、ヒカルの唇が言葉を綴った。
小さく二文字。
何と言ったのかは聞こえなかった。
(48)
ヒカルのその願いは叶わなかった。
緒方はひどく優しくヒカルを扱ったからだ―――
緒方の胸の中は、とても温かくて気持ちよかった。
緒方に何か言ったような気がするが、思い出せなかった。
「先生…これ返すよ…」
帰る間際、ヒカルが鍵を緒方に手渡した。
緒方は黙ってそれを受け取った。
「オレ……先生のこと好き…大好き…」
本当だよ…塔矢の次に好き―――声には出さなかったが、緒方には届いただろう。
ヒカルが緒方を見つめる。
視線の先にある眼鏡の奥の瞳は静かだった。
「俺も…好きだ…」
緒方も見つめ返してきた。とても穏やかな気持ちだ。
二人の視線が優しく絡んだ。
ヒカルは、緒方の胸にコツンと額を押し当てた。
緒方の繊細な指先がヒカルの髪に触れる。
「オレ、先生の側にいると安心するんだ……」
額を押し当てたまま呟いた。
他の世界から守られた、居心地のいい場所。
緒方の指は優しく髪に絡んだままだ。
「でも、塔矢に会うと…どうしてかな……いつもドキドキするんだよ…」
緒方とは違う安心感。
側にいるとホッとするのに、いつもいつも胸が苦しかった。
笑ったり、ケンカしたり、その度にときめいた。
「先生と一緒にいる方がずっと落ち着くのにさぁ……」
オレも塔矢もホント…………馬鹿だ……
緒方は、ヒカルを軽く、本当に軽く抱きしめた。
「じゃあ。また、遊びに来るよ。」
ヒカルは、勢いをつけて緒方の胸から離れた。
ドアの向こうでもう一度緒方を振り返って、笑いかけた。
緒方のよく知っている、いつもの明るい少年だった。
(49)
ヒカルは、真っ直ぐアキラのアパートに足を向けた。
最初は早足だったが、気がついたら走っていた。
急がなければいけない理由があった。
しつこいくらい何度も呼び鈴を押した。
ガチャ
中から錠を外す音が聞こえた。
ヒカルは待ちきれず、ドアを思い切り引っ張った。
「進藤!?こんな早くからどうしたんだ?」
突然の来訪者に、アキラはびっくりしていた。
ヒカルはアキラに抱きつくようにして、そのまま部屋に転がり込む。
アキラはヒカルを受け止め損ねて、しりもちをついてしまった。
ヒカルは、アキラの首にしがみついたまま、ゼエゼエと息を切らした。
アキラの手が、心配そうにヒカルの背中をさすった。
深く息を吸い込んで、必死で息を調える。
「オレ…お前に…で…伝言があって…」
切れ切れにアキラに話す。
「―――伝言?」
ヒカルはアキラを真っ直ぐ見つめた。
ごくり――喉が鳴った
(50)
ヒカルの話は、アキラにとって不本意なものだった。
何故、ボクが緒方さんと会わなければならないのだ―――――
自然と顔が険しくなる。
笑っていたヒカルの顔が、だんだん曇っていく。
それでも、アキラを一生懸命説得しようとしていた。
「悪いけど―――」
アキラは、ヒカルから視線を逸らした。
お願いだから―――
ヒカルが必死でアキラに頼み込む。
だが、アキラは頑なに承知しなかった。
何故、そこまでするんだ。
緒方さんのためにどうして―――――――!
アキラにしがみついていたヒカルの指が、力無く離れた。
ヒカルがアキラを見つめている。
逸らした頬にその視線を感じた。
胸が痛い…。
直接見るまでもなく、ヒカルがどんな顔をしているのかがわかった。
ヒカルが、アキラの手に何かを握らせ、立ち上がった。
「――――!進藤!?」
手を開かなくてもわかる――これは――――!
慌てて顔を上げた。
ヒカルはドアに手をかけるところだった。
「オレ…塔矢が大好きなんだよ……誰よりも…」
それだけ言うと振り向きもせず、でていった。
チラリと見えた横顔は、涙を堪えているようだった。
手の中に合い鍵だけが残った。
|