落日 47 - 48
(47)
暴れる四肢をものともせず強引に割り込んできた肉に、ヒカルは悲鳴を上げる。けれどそれは
むしろヒカルの抵抗を、叫び声を楽しむかのように、乱暴に動き始める。悲鳴を上げ続けるヒカル
の顔が掴まれて無理矢理口を開けさせられ、押し込まれる。前後から貫かれてヒカルはもはや
声をあげることもできない。ヒカルを後ろから突き刺していた男が突如引き剥がされたかと思うと、
別の男がすかさず彼を捕らえて貫く。嫌悪しかないはずなのに、それでも自分の身体は快感に
支配され、意思に反して肉体は与えられる刺激を貪欲に貪る。頭の奥では嫌だ、と、もうやめて
くれ、と、悲鳴を上げているのに、自分の口から漏れる声は明らかに嬌声で。
「もう、ダメ…やっ、やあっ…あ、あぁ、もう…、許して…ぇ…」
けれどどれほど泣き叫び、哀願し、懇願しても許される事は無く、それらはヒカルを身体ごと心
ごと苛む。身体の外から、内から、黒い汚濁に汚され、そこから爛れ腐って崩れてしまいそうに
感じるのに、身体は尚快楽を感じて、震え、咽び泣く。熟れ過ぎて潰れる寸前の果実の放つ香
は芳香なのか腐臭なのか。
「ああああーーーーー!!」
絶叫と共に押し潰される。体全体にかかる重みに、腐った自分自身もぐしゃりと潰され、もはや
その形状も残していないように感じた。
それなのに、意識はいまだ完全に失われはせず、ぱたり、と顔に何かが滴り落ちる。
「ひっ…」
恐怖の記憶に身体を縮こまらせた彼の顔を濡らすのは、冷たい池の水ではなく、温かく生臭い
血しぶき。背にかぶさる身体は力を失って彼を押し潰すようにくず折れるのに、まるで最期の
抵抗のように、爛れ崩れそうに感じる自分自身の内部ではまだ何かがビクビクと蠢く。
「うわぁあああああああああああああ!!!」
(48)
自らの放つ絶叫に彼は悪夢から現し世へと引き戻される。
「あ…」
思わず漏らした声は低く掠れ、もはや身を起こすだけの力もなく、ただ呆然と眼を見開いて天井を
見つめる。その木目が、ぐにゃりと歪んだ。歪んだ映像はまるでこの世に恨みつらみを持って彷徨
う怨霊のようで、ヒカルはぎゅっと目をつぶる。
けれど目の裏には誰かの顔が映ったと思うと歪んだ映像は別の人物の顔に変わり、目まぐるしく
浮んでは消えてゆくその人たちがどこの誰であったのかを認識する間もない。それは良く知って
いる人のようであり、見たことも無い人のようでもあり、一瞬、懐かしさを感じて引き止めようと思って
も次の瞬間には別の姿に移り変わる。
最後に見えた白い面に向かって手を伸ばそうとしてもそれは遅すぎて、涙を流しながら目を開けた
ヒカルの視界は夕映えに紅く染められていた。
赤く燃えるような色に誘われるように寝台から這い出し、御簾を開けて外界に出たヒカルの目に、
壮大な落日に赤く照らされた世界が映る。燃え尽き落ちる寸前の太陽の最後の力が、世界中を
呪うように毒々しく赤く、全てを血の色に染め上げていた。
何もかもが赤く照らされている光景の中で、自分が血の海に溺れかけているような気がした。
壊れてしまう、と、思った。
いっそ壊れてしまった方がいい。
好きだとか嫌いだとか、いいとか嫌だとか、そんなもの、全部要らない。考えたくない。感じたくない。
いっそ壊れきってしまえば、痛いとか苦しいとか悲しいとか辛いとか、そんなものも全部感じなくなる。
もう、壊れかけているのかもしれない。
それでいい。
己など失くしてしまえばいい。
何もかも手放して、何もかも失くして、全て忘れてしまいたい。
この赤い、血の海に溺れて、己など全て失くしてしまいたい。
もはや己をここに引き止めるものは何もない。
落日のその最後の力が次第に光を失ってゆく中、ヒカルもまた闇の世界へと沈み込んで行った。
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