平安幻想異聞録-異聞- 49 - 52


(49)
結局、ヒカルが近衛の家に帰り着いたのは、日も落ちてすっかり暗くなってからだった。
足腰がなんだかふわふわして、おぼつかないのを、佐為が支えて送り届けてくれた。
そんなヒカルを見てとって、ヒカルの祖父が
「なんじゃ、警護役のくせに、その当の佐為殿にこのように手間をかけさせるとは…」
と、小言をいう。ヒカルがそんな出仕先でそんな状態になってしまったのが、
自分にも責任あることと自覚はしている佐為が、困った顔をして祖父をいさめた。
「佐為殿は、公家の出身にしては、実を知るよく出来た方じゃ。我が家の
 いたらない主を送り届けてくれた礼に、今夜は秘蔵の酒を出しましょう」
その佐為を、祖父は気に入ったのか、酒を勧め、なんだかんだと言いながら、
結局佐為は近衛の家に泊まることになってしまった。

「ごめん。今日は自分のうちで寝たかったんじゃない?」
夜も更け、自分の布団と並んで整えられた、佐為の布団を眺めながらヒカルが言う。
「いえ、おいしいお酒をいただきました。楽しかったですよ」
言いながら、佐為は床に入る。ヒカルもそれにならった。
「ヒカルの祖父殿も碁を嗜まれるそうですね」
「あー、でも、下手の横好き」
「今度、指導碁をと、頼まれました」
「しょうがねぇなぁ。佐為の負担にならない程度に適当に相手してやってよ」
「ヒカルの祖父殿とあっては、適当にというわけにはいきませんよ。懇切丁寧に
 指導させていいただきます」
「悪いな」
「いいえ」
静かに佐為が目を閉じるのを見て、ヒカルも目を閉じた。
昼間の疲れも手伝って、ヒカルが深い眠りに入るのに、いくらも時間はかからなかった。


(50)
眠りの沼の深遠にいたヒカルの意識を呼び戻したのは、床板がきしむ小さな音だった。
ヒカルは闇に寝ぼけまなこの目を凝らす。
部屋の中の空気が完全に止まっている。それは重くのしかかるような、
奇妙な息苦しさだった。
少し暗闇に慣れた目で、となりに寝ているはずの佐為の気配をさぐる。
ミシリと、また床板が鳴った。その音は案外近くて、ヒカルはその音源を探した。
ヒカルの枕元近くの板がわずかにたわんだ。何だろう、と、ぼんやり見つめるヒカルの
目の前で、その床板と床板の隙間から身をよじるようにして入り込んできたのは、
アサガオの芽のような、螺旋状を描く蔓だった。
(タケノコが床板破るってのは聞いた事があるけど、アサガオってのはどうなんだろう)
と、ヒカルが覚めきっていない頭で馬鹿なことを考えている間に、
それは2本、3本と殖え、徐々に太さを増していく。その先端は闇の中を手探り、
尺取り虫のように床を這いながら、ヒカルの方に近寄ってきた。
(なんだよ、これ!)
ようやっと事の異常性を知覚して、飛び起きたヒカルだったが、その足には
すでに、蔓が2本,巻き付いており、立ち上ろうとしてバランスを崩したヒカルは、
布団の上に転がった。
(妖し?)
その蔓は、まるで練ったうどん粉のような弾力を持ち、やけにひんやりとした
死人の肌の温度。
――気持ち悪い……。
振りほどこうとして足に遣った手は、それに届く前にまた別の蔓にからめとられた。
手首を取った細い蔓が、数本絡み合いながら、ひじ、二の腕と這い上がり、
ヒカルの肩にまで登る。
まるで何かをさがしているようだ。
その先端が、まるで蛭のように、口をぱくぱくさせているのを見て、
ヒカルの背にゾッと悪寒が走った。
「……佐為……」
それは、ヒカルの肩からさらに探索を進め、首へと吸い付く。
「佐為ーーーっっ!!」
佐為が飛び起きた。


(51)
「ヒカル!?」
異形のモノに絡め捕られるヒカルの姿に、佐為は状況が飲み込めない。
「佐為っ!! 太刀!! オレの太刀取って!!」
ヒカルは絡め捕られたままの腕で、部屋の片隅に立て掛けてある
自分の太刀を指さした。
佐為は大慌てでそこに駆け寄り、太刀を手に取ったが、それを受け取ろうと
延ばしたヒカルの手を、無数の細い蔓がのびて、巻き付き、それを許さない。
太刀を渡そうとヒカルに近づいた佐為の足にさえ、それは絡みついて
二人の接触をはばんだ。
複数の蔦の形をしたものに足を取られる異様な感触に、佐為も肌を粟立てる。
「佐為っ」
ヒカルが必死で、手を伸ばす。だが、このままではいかに手を伸ばしても、
太刀はヒカルに届かない。
「くっ……!」
佐為は持ち慣れない刀の柄をつかんだ。
すばやい動きで手になじまない重さの刃を鞘から引き抜き、その白刃を、
足に絡む蔓の形をしたものに振り下ろす。
刃が、その異形に食い込む感触――だが、異形はその弾力で衝撃を吸収し、
太刀を受けて一旦は刃が食い込んだ場所も、佐為が力を抜けば、
その刃をいとも簡単に押し戻してふっくりと膨らみ、もとの形状にもどってしまう。
ヒカルにまつろいつく異形のものが、何かを見つけて、悦びに身を震わせた。
ぱくぱくと開閉するその先端の口らしきものから、ずるずると涎の
ようなものが流れ出した。その白泥した粘液でヒカルのふくらはぎを汚しながら、
上へと這い登ると、くるりと太ももを一巻きし、股の間に体をねじ込み、
その先端の口をヒカルの後ろの門へとよせた。
「…ひゃっ…!」


(52)
思わぬところへさまよいこんだ、異形のモノの、冷たくむっちりとした
感触の薄気味悪さに、ヒカルが首をすくめた。
「ヒカル!」
佐為は、自分の足首に巻き付くそれが、簡単に断ち切れない事を見て取ると、
その源を冷静に見極め、今度は、床板の間からはみ出す蔦の形のものの一番の大元、
太く蠕動するその茎にあたる部分に刀を振り下ろした。
刃がずぶりとその肉に埋まる。
佐為は渾身の力をこめて、その異形の肉を横になぎ払った。
ビシャリと何かが潰れる音がする。
部屋が異様な臭気に満ちる。
肉片の様なものを飛び散らしながら、茎が半分にちぎれた。
ちぎれて飛んだ禍々しい断面をした肉片は、まるでバラバラにされた
ミミズのように1片1片がのたくり、跳ねる。
そして、何かに操られているかのように、自らの本体である
太い茎状のモノの方へ集まっていく。
それを見て佐為が再び太刀を振るおうとするのを、蔦の一本がムチのように
しなって打ち、その手から太刀を叩き落とした。佐為は慌ててそれを
拾うおうとしたが、太刀は、瞬く間に他の細い蔓に巻き取られ部屋の隅へと
持ち去られる。
その佐為の見る前で、大茎は、その傷口から、ブクブクと泡を発し、
みるみるうちに元通りの姿になってしまった。
元通り――いや、その表面は醜く節くれだち、さらに忌まわしさを増してはいないか。
その茎より延びて、ヒカルの体に巻き付くそれは、先端の口から
タラタラと糸を引く淫液を滴らせながら、その口でヒカルの皮膚を吸い、
舐め、貪るように身をくねらす。



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