クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 5


(5)
「賀茂っ。・・・大丈夫かよ?賀茂!」
聞き慣れた声に明はゆっくりと目を開いた。
陽の色の前髪を持つ友人が心配そうに覗き込んでいる。
はっとして己が身を見たが着衣のどこにも乱れはなく、指も汚れてはいなかった。
「・・・ゆめ・・・?だったのか・・・?」
「あー?居眠りして怖い夢でも見てたのか?すげェ悲鳴が聞こえたから
慌てて来たってのに。賀茂でも、そんなことあるんだなー」
近衛光は名前そのままの翳りない明るさでにぱっと笑った。
闇の中に居た身にはそれが眩しく感じられて、明は思わず目を細める。
「ホラ、いつまで寝てんだよ。まだ勤務時間中だろ?
どこも悪くないなら、起きた起きた!」
普段は自分のほうこそ昼間から眠いだの退屈だのと騒いでいるくせに、
強引に明を起き上がらせようとする。
子供のように元気な声を微笑ましく思いながら、先刻――夢の中で?――
はしたない行為に及んでいた右手を取られそうになり、思わず払い除けてしまった。
パシ、とやけに高く音が響く。
光が呆気に取られた顔をする。
「あ・・・」
謝らなければ。
そう思うのに喉が詰まったように言葉が出ない。
明はこういう場面に慣れていなかった。物言わぬ式神を家族として十数年も、
謝罪の言葉も感謝の言葉も口にする機会がほとんどないまま過ごしてきた。
だが今目の前にいる光は生きた人間で、自分の友人で、
自分は今彼の親切に対して無礼を働いた。
ここは謝っておかねばなるまい。
そうだ、こんな時のための言葉は――
「近衛、すまなかっ――」
「ちぇっ、イッテーの!人がせっかく親切にしてやってんのに!」
明の謝罪の声は、頭の後ろに手を組んだ光の大声で掻き消されてしまった。



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