兄貴vsマツゲ? 5 - 6
(5)
座り心地のいいソファに緒方を腰掛けさせて、アキラが事情を説明した。
「今日、いつもみたいに棋院を出ようとしてたんです。そうしたら棋院前に彼がタクシーを
横付けさせていて・・・」
つい先日行われた北斗杯と、その後プライベートに行われた対局を通して永夏と顔見知りに
なっていたアキラは、思いがけない再会を嬉しく思って誘われるままホテルの彼の部屋まで
ついてきてしまった。
「何故そこでついていくんだ!」
「彼と再戦できるんだと思ったんです!ボクは・・・北斗杯後の彼との対局はボクの負けだった
から・・・」
唇を噛むアキラに、緒方はああ、と返すしかなかった。
たとえ自分より格上の相手とでも、対局に負けた時の悔しさは緒方も嫌というほど知っている。
だが部屋に着いてみると碁盤も碁石も見当たらない。
更に永夏はニコニコとアキラの肩を抱き、あろうことかベッドの上に押し倒そうとしてくる。
覚束ない韓国語でどういうわけだっ!と問い質すと、自分はアキラが気に入った、今回自分が
日本に来たのはアキラと親しくなるためだと悪びれもせずに語る。
「それで、先にシャワーを浴びてくるからって誤魔化して、お風呂場から携帯で緒方さんに
電話したんです。途中で彼に気づかれて携帯を取りあげられてしまったんですけど、何とか
追い出して鍵を掛けて、緒方さんが来るまでボクも外には出ないって言って・・・」
アキラもそしてアキラに出てきて欲しい永夏も、緒方の到着を待っていたわけである。
(どうりで、部屋のドアが開いていたわけだ・・・)
ソファに深々と凭れ片手で目を覆って緒方は溜め息をついた。
(6)
再戦を意識したとは言え相手の意図をろくに確かめもせずのこのこホテルの部屋まで
ついてきてしまったことと、その結果兄弟子にまで迷惑をかけてしまったことを反省してか、
アキラは肩を落とし、叱られるのを待つ子供のようにちんまりと膝の上に両手を揃えて
椅子の上で小さくなっている。
いつもの小賢しいほど自信に満ちた態度がすっかり取り払われたアキラはいかにも従順で
頼りなげで、その姿が緒方に素直で愛くるしかった幼い頃のアキラを彷彿とさせた。
それを懐かしく思う一方、年長者としてここは説教の一つもしておかねばという考えが
緒方に起こった。
ゆっくりとした動作で煙草を一本取り出し、マッチで火を点けて燻らせる。
それから緒方は片手の指で煙草を軽く挟んだまま、アキラを見つめ威厳に満ちた声で言った。
「アキラくん。・・・先生たちの留守中にキミに何かあったら、オレは腹を切って詫びても
足りないぜ。オレが来なかったらどうするつもりだったんだ」
アキラの眉がピクリと吊りあがった。
「・・・どうって・・・彼の望み通りにしていたかもしれませんね」
さっきまでしおらしい様子だったのに、突然つっけんどんにそっぽを向いて答えたアキラに
緒方は危うく煙草を取り落としそうになった。
焦って挟み直し、そのまま、向かい側のソファにゆったりと身を沈め優雅に脚を投げ出す
永夏を指差してやる。
「コ、コイツと寝てたかもしれないってことか!?キミはそれでいいのか!」
「だって緒方さんが呼んでも来てくださらないなら、仕方がないじゃありませんか」
「来ないなんて誰も言っていないだろう!」
何故アキラが突然不機嫌になったのかわからない。
混乱する緒方をジッと見つめながらアキラは言った。
「そうですね。緒方さんはお父さんの弟子で、ボクはお父さんの息子だから。だから緒方
さんは急いで来てくれた、でも・・・そんな理由なら、来てくださらないほうがマシです・・・!」
言い終わらないうちに語尾が震え始め、強い光を放つアキラの大きな目から大粒の涙が
ぽろぽろっと一気に三、四粒零れ落ちた。
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