平安幻想秘聞録・第二章 5 - 7
(5)
牛の引く車。読んで字のごとくの乗り物がこんなに揺れるものだとは
思わなかった。乗り慣れている佐為はともかく、ヒカルは大きく弾む度
に牛車が壊れるのではないかとびくびくしていた。それでも何とか内裏
に辿り着き、外郭門の一つ、建春門を潜ることができた。
宴の客である貴族たちが使うのは南側にある建礼門で、この建春門は
東側にあるため、今は人通りもなくひっそりとしていた。
「大丈夫ですか、光?」
「あー、思ったより平気みたい」
牛車から踏み出したヒカルの足取りは意外にもしっかりとしている。
昔から乗り物酔いをする体質ではなかったからかも知れない。
藤原行洋からの手回しだろう、佐為の姿を見た衛士は、目の前にある
大きな宣陽門を避け、南側にある延政門へと案内してくれた。
「さぁ、光、こちらですよ」
ヒカルにはでっかい日本家屋が立ち並んでるように見えるだけで、ど
っちに何があるのかさっぱり分からない。後はもうひたすら佐為の後ろ
を着いていくだけだ。顔を見られないよう袿(うちぎ)を被き(かずき)
にしたヒカルはある意味目立っていたが、贅沢も言っていられない。
ちなみにヒカルは帯剣もしている。刀を振り回したこともない者が形
だけで持ち歩くのは危なくはないかと明に揶揄されたのだが、せっかく
だから刀を差してみたいというのか、差してないと落ち着かないという
のか、とにかく押し切って来てしまったのだ。
「光、着きましたよ」
そうこうしているうちに、どこかの部屋に通され、袿を取るように言
われた。
「久しぶりだな。佐為殿と、近衛くんではなく、進藤くんと言うのだっ
たな?」
そこには、緒方通匡が座して二人を待っていた。うわー、緒方先生だ!
というのがヒカルの率直な感想だった。
(6)
「はい。あの、進藤でいいです。呼び捨てで」
緒方先生にくん付けで呼ばれるなんて、何だか気味が悪い。当の緒方
が聞いたら立腹しそうなことを考えつつ、ヒカルも勧められて腰を下ろ
した。
「藤原行洋さまはおいでではないのですか?」
「それが、帝のお相手で、なかなか宴の席をお外しになれなくてな」
「帝の、ですか?」
「あぁ、おまけに、さりげなく席を外そうとした行洋さまの様子に、帝
がお気づきになって。仕方なく、佐為殿とお会いになることをお話しな
られてな・・・」
意味ありげな緒方の視線に、佐為はふぅと息をついた。
「皆まで言わなくても分かりました。帝にご挨拶をしに伺います」
「そういうことだ」
いくら私用での参内とはいえ、宮中にいることが知られた上は、帝に
何の挨拶もなしに帰るわけにもいかない。
「光。申し訳ありませんが、こちらで待っていてくれますか?」
「えっ、オレ、一人で?」
「そうだな。宴の席に連れて行くわけにもいかないからな」
「宴はどちらで?」
「綾綺殿だ」
何とか殿と言われても、ヒカルにはどこがどこなのだか分からない。
下手に歩き回ると、百発百中の確率で迷子になりそうだ。
「すぐに戻りますから」
そう言って緒方と立ち並んで出て行った佐為の言葉を信じるしかない。
「もし、誰か来たら、畳に平伏していれば大丈夫なんて、佐為も簡単に
言ってくれるよなぁ」
真夜中でも煌々と灯りが部屋の中を照らす現代と違って、油を差した
燈台に灯る光は小さなものだ。確かに、下を向いてしまえば、人相風体
ははっきりと分からないかも知れないが。
(7)
それにしても、退屈だ。すぐというのも、どこかのんびりとした平安
時代とせかせかした現代では違うのかも知れない。少なくとも半時が過
ぎても佐為たちは戻って来る気配さえない。
「せめて碁盤と碁石があればなぁ、何時間だって時間を潰せるのに」
頭の中で棋譜を浮かべるのもいいが、やはり碁石を持つ方がいい。
そのとき、すっと佐為たちが出て行ったのとは違う襖が開き、ヒカル
は思わずびくりと身体を竦ませた。
「あぁ、すまぬな。人がいるとは思わなかった」
声の主はまだ、年の若い男だった。声の調子にどこか雅やかな響きが
ある。きっと身分の高い貴族だ。そう思って、ヒカルは佐為に言い含め
られていた通りに、ぺたんと頭を下げた。
「そう畏まらなくても良い。闖入者は私の方だ」
「いえ、身分の高い方に失礼があっては、オレ、いえ、私が主人に叱ら
れます」
若干棒読みの答えだったが、相手はヒカルが緊張してるのだと取って
くれたらしい。
「そうか。そなたはどなたかのお供で参ったのか?」
「あっ、はい」
「主は・・・いや、訊くのは野暮というものだな。今宵は宴なのだしな。
私も少し飲み過ぎたようだ。悪いがここで酔い醒まさせてもらうぞ」
うわぁ、早く出て行ってくれないかなーと思いながらも、ヒカルは下
げた頭で更に下にして頷くしかない。
「そなたのそのままでは辛かろう。私はそちらを向かぬようにするゆえ、
楽にしていてよいぞ」
「あっ、でも、いえ、ですが・・・」
「かまわぬ、かまわぬ」
やっぱり酔っているのか、男はどこか陽気だ。そっと視線だけを上げ、
相手がこちらを見てないのを確認して、ヒカルは身体を起こした。
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