sai包囲網・中一の夏編 5 - 7
(5)
さぁ、進藤。ボクの一手にキミはどんな手を返して来る?
「キミも、インターネット囲碁をやるんだね」
「あっ、あー、ちょっとだけな。お前もやるのか?」
それにこくりと頷きながら、ボクは淡々と布石を築く。
「強い打ち手がいる。saiという名だ。ボクも昨日打った」
「サイ〜?」
「そう、sai(エスエーアイ)。キミと同じ、ハンドルネームだね」
「は、ははっ、そーだな。すごい偶然だよな」
偶然ね。この暑いのに冷や汗をかきながらあくまでも惚けようとする
進藤。なら、ボクがキミのその白石を殺してあげるよ。
「インターネット囲碁をやっている人達が、saiの正体は誰かと大さ
わぎだよ」
「え?saiの正体?」
目に見えてギクリと表情を強ばらせた進藤。あいかわらずの大きな目、
ボクより低い目線。考えを巡らせるように、その視線をキョロキョロと
動かしている。その幼い仕種に思わず笑みを零したボクに、進藤は誤魔
化しきる自信を覚えたのか、ぐいっとこちらに身を乗り出した。
「えー、なに、お前、そのsaiがオレかもしれないと思ったんだ!」
お前に勝っちゃったことがあるもんなーと、笑い飛ばしてる。だけど、
キミはまだ知らない。ボクがかなり前からsaiの対局を観戦していた
こと。それを告げたとき、キミは何て答える?
早く、進藤の驚く顔を見たい。だけど、こうやってもっと話していた
い気もする。いつだって、ボクと進藤の間には何か障壁があって、こう
やって向かい合って話したことなんて、数えるくらいだ。
(6)
ふいに、教室の窓越しに拒絶されたときのことを思い出した。閉ざさ
れた窓とカーテン。こんな風に彼を追いつめるようなマネをしてしまう
のは、あのときの仕返しなんだろうか。
イヤ、それよりも、ボクは彼の、進藤のことをもっと知りたい。最初
の圧倒的な強さと、その後の落胆したほどの棋力とのギャップ。謎めい
た進藤のすべてを。
そのためには、どうすればいいか。答えは簡単だった。
「進藤」
「な、なんだよ」
「黒、初手、右上スミ小目。白、左上星。黒、右下星…」
進んで行く手順に、呆気に取られていた段々と進藤の表情が変わる。
そうだよ、これはキミが一時間ほど前に打った一局の棋譜だ。最後まで
読み上げ、ボクは視線を進藤の戻した。
「次のも言おうか?今度はキミが白番だったね」
「も、もう言わなくていい!」
ボクに見られていたとやっと気がついた進藤が、小さく項垂れて自分
の足先に視線を落とした。さすがに、真っ正面からボクと向き合う気力
がないらしい。
「そんで、お前は何を言いたいわけ?」
「あれがキミの本当の実力?」
「本当って…オレの実力ならお前が一番良く知ってるだろ。ふざけるな!
って、対局中にどなりやがったくせに」
拗ねたような口調と共に、ふっくらとした頬が動く。
「じゃあ、saiは?」
「あれは、その…おまえと対戦してたら、オレも実力をつけたってこと
だよ!オレだって、毎日、練習してるんだからな。強くだってなるさ」
「saiのレベルは、そんなもんじゃない」
(7)
「レベルって何だよ。オレが強くなっちゃ、悪いのかよ!」
「たった二ヶ月で、韓国のプロや多くの国のアマ代表を破るほどに?」
「プロ?アマ代表って?」
「先週、ボクは国際アマチュア囲碁カップの会場にいたんだ」
「アマの、国際、何だって?」
「各国のアマの代表が戦う国際試合だよ。キミと、saiと打った棋士
が集まって、saiは誰かとさわぎになっているところにタイミング良
く、キミが対戦を申し込んで来た」
後は言わなくても分かるだろうと、言葉を切る。
長考に入った進藤はすぐには答えを返さない。考え事をするときの彼
のクセなのか、何かを問いたそうに頭上を見上げ、微かに表情を変える。
それを何度か繰り返したあと、やっと口を開いた。
「オレが…」
高めの声が少し掠れていた。その細い首の真ん中が、喉を潤わせるた
めに動く。
「オレがネット碁をやっちゃ悪いってこと、ないだろ」
「悪くないなら、どうして隠すの?」
「隠してなんか…」
「じゃあ、ボクがsaiの正体は進藤ヒカルだって、言ってもいいんだ」
「み、みんな、信じやしないさ」
「そうでもないよ。会場でもね、saiが夏休みになって現れたことや、
チャットでの会話から、子供じゃないかってウワサされていたしね」
「チャットって?」
「『ツヨイダロ、オレ』、覚えがあるだろう?」
これが決定打だったらしく、進藤はかくんと肩を落とした。
「塔矢、どうしたら…saiのこと、黙っててくれるんだ?」
ここで、やっと投了だね、進藤。
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