Happy Little Wedding 5 - 8


(5)
そのまま何か話しかけてアキラの気持ちをほぐしてやるようなことが出来ればよいのだが、
緒方はそういうことが得意ではなかった。
それは自分が大人になってしまったからなのか、
それともまだ大人になり切れていないからなのか分からないが、
とにかく基本的に子供は苦手なのだ。
行動の予測がつかないし、小さな頭の中で彼らが毎日何を考えて生きているのか分からない。
普段アキラが機嫌良くお喋りしてくる時なら相槌を打つのにもさほど苦労はしないのに、
こういう時に限ってかける言葉が見つからない。
アキラが言葉少なにしているこんな時こそ、年長者の自分がリードしてやらねばと思うのに――
「・・・・・・」
アキラはしばらく緒方の顔を見上げたまま、じっと話しかけられるのを待つ風にしていたが、
緒方が何か言いたげにアキラを見つめるばかりで結局何も言葉が出て来ないのを見て取ると、
またそっとクマのぬいぐるみの上に顔を伏せてしまった。
それは当たり前と言えば当たり前の反応だったが、
何かアキラに見切りをつけられたような気がして、かなりの挫折感が緒方を襲った。
――つまらない奴と、思われただろうか。
それ以上に、折角開きかけたアキラの心が目の前で再び閉じていくのを
見す見す許す自分のふがいなさが腹立たしかった。

だが次の瞬間、腿の横辺りに羽が触れるような感触があった。
見ると、ちんまりとした頭が遠慮がちに緒方の脚に寄り掛かっている。
視線を感じたのかアキラは少し心配そうにちらっと緒方を見上げたが、
何も文句は言われないと判断すると、さっき父親にしたようにそのままゆっくり
小さな体重を預けてきた。
「・・・・・・」
手を動かして、いつも並んで歩く女よりはかなり下方にある未発達な肩を抱いてやった。
アキラが幾分明るい声で、
「いちごのアイスって、お代わりしてもいいのかなぁ〜・・・?」と呟いた。


(6)
宿の亭主が運転する数人掛けの小さな送迎バスで到着したのは
周囲の緑によく調和する、白い壁に黒い枠木の建物だった。
小ざっぱりと明るい廊下を抜けて、各自の部屋に荷物を置いてから食堂へ向かうと、
食卓には白いレースのクロスが掛けられ、色とりどりの花をまるく活けたバスケットが
置かれていた。
「およめさん・・・」
アキラがぽそりと呟いた。
「お嫁さん?何言ってんだアキラ」
「けっこん式のおよめさんだよぉ」
先ほどの緒方との不器用な遣り取りの成果か、単に目が覚めてきただけなのか、
アキラはもうほとんど普段の元気を取り戻していた。
「この間、親戚のお姉さんの結婚式に行ったのよね。アキラさん」
「ン・・・そう」
席についても相変わらず膝の上からクマを離そうとはしないアキラだったが、
母親のフォローに嬉しそうにコクンと頷いてレースのクロスの端を持ち上げ、
パタパタしてみせる。
「あのね、これが、およめさんみたいでしょ?それからお花も」
花嫁のベールとブーケのことを言っているのだろう。
「へぇ、アキラ結婚式に行ったんだ!オレまだ行ったことないよ。何かご馳走出たか?」
「うんっ。聞きたい?あのねぇ、ケーキでしょ、キャラメルのアイスでしょ、ねえぶるでしょ、
メロンでしょ、それから・・・」
「おいっ、それ、全部デザートじゃん!」
「ほんと、アキラさんったらお菓子と果物ばっかり好きで困るわ。
結婚式でもご馳走はほとんど食べないし、おうちでだって、
お母さん毎日一生懸命お料理してるのにちっとも食べてくれないんだもの」
明子夫人が拗ねたように横目になって柔らかな頬を横からふにふに指で押すと、
アキラはくすぐったそうに首を捻りながら子供特有の、
人間の声帯から出ているとは俄かに信じがたい超音波のような声を出した。


(7)
「でもね、アキラさん。今日はうんと美味しいご飯が出るから、たくさん食べないとダメよ?
お菓子ばっかり食べてたら、大きくなれませんからね」
「ごはんのあとで、いちごのアイスお代わりしてもいい・・・?」
「あんまり食べ過ぎると、ぽんぽんが冷えちゃうわよ?」
「まぁいいじゃないか、食べたがっているんだから。アキラ、お父さんのを半分やろう」
「ほんと〜!」
「もう、あなたったらまたアキラさんにいい顔をして。この間も私の留守中にその調子で
アイスを二つも食べさせて、アキラさんがお腹を壊したばかりじゃありませんか。
アキラさん、アイスのお代わりは一口までよ、いーい?お母さんのを分けてあげますからね」
「え、ひとくちだけ〜・・・」
眉を八の字にして助けを求めるようにアキラが父親を見る。
だが行洋はエヘンと咳払いをし、話題を変えた。
「け、結婚式と言えば、緒方くんはどうなんだ。そろそろちゃんと、いい人はいるのかね」
「は・・・」

芦原はわくわく目を輝かせて緒方のほうを向き、
明子夫人は困った人ねという顔で夫の顔を見ている。
アキラは「ねぇ、ふたくちお代わりしちゃだめ〜?」と小声で母親の袖を引っ張っている。
実を言うと最近、付き合っている女性が居ないでもなかった。
以前から面識はあった相手だ。去年の十一月か十二月に偶然再会して、緒方から食事に誘った。
初めは何だかんだと勿体ぶっていた相手だったが、緒方が若手プロ棋士の中ではかなりの
有望株として名を揚げつつあることを知ると向こうから連絡を取って来た。
そんな女の態度を現金だと思いながら、誘いを断ることが出来なかった。
むしろ縋るように彼女との関係を深めることを望んだ。
顔立ちもプロポーションも好みだが、特に心惹かれる何かがあったわけではなかった。
にも関わらず性急なほどに関係を急いでしまったのは、彼女の温かな懐に飛び込めば
それによって何かから逃れ、庇護してもらえるという薄い期待があったせいかもしれない。


(8)
だが、緒方は静かに答えた。
「・・・決まった女性は、特には居ません」
芦原ががっかりした顔をする。
この数ヶ月間彼女と交際を続けてきたのは事実だが、かと言って他の異性に比べ彼女一人が
自分にとって特別であるというような気持ちは、いつまで待っても起こらなかった。
もっとももしそんな事を彼女に言ったら、それはこっちの台詞だと返されるかもしれないが。

「ほう、そうなのか。緒方くんなら女性のほうから寄って来そうなのに意外だな、なぁ明子」
「あなた、最近はそういう話題もセクハラになるんですってよ。
緒方さんまだまだ若いんだもの、これからよねぇ」
「はは・・・」
全く女っ気が無いと思われるのも少々不本意だったが、取りあえず笑っておいた。
会話の内容をどこまで理解しているのか、アキラはクマのぬいぐるみの腹の辺りを
小さな手で撫でながら、不思議そうな顔で大人たちの顔を交互に眺めている。
そんなアキラの横で芦原がやけに真面目な顔をして呟いた。
「結婚かあ・・・オレもいつか、誰かとするのかなぁ・・・」
「芦原くんは同級生や院生の中に、好きな子でもいるのかね?」
「いや、・・・同級生とかそういうのは・・・いませんけど・・・結婚か〜・・・はぁ〜・・・」
まだ小学生なりに「結婚」という言葉が心の琴線に触れたらしく、
芦原はあ〜、うー、と混乱した溜め息を繰り返しながら隣に座るアキラのほうに手を泳がせ、
一瞬置いてからクマの頭をちょっと撫でた。
アキラが嬉しそうにクマの体をぴょんと躍らせ、芦原に向かってバンザイのポーズをさせる。
芦原がもう一度大きく溜め息をついた。
「オマエはいいよな〜。気楽で」
「きらく・・・じゃないよぉ」
言葉の意味が分かっているのかどうか甚だ怪しいアキラが唇を尖らせた時、
白い湯気をたなびかせてスープが運ばれてきた。



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