誘惑 第三部 51 - 52
(51)
「んじゃあ、今日は、塔矢門下の寂しい一人もん同士って事でー、かんぱーい!」
大仰にジョッキを差し出した芦原に付き合って軽くグラスを合わせながら、緒方が呆れ声で言った。
「なんだ、知らないのか、芦原。」
なにが?ときょとんとしている芦原を眺めながら、
「こいつは外れもんだ。ちゃっかり元の鞘に納まってるんだからな。」
そう言って、アキラを見てニヤニヤ笑う。
「なんで、知ってるんですか、緒方さん…」
微妙にうろたえ加減でアキラが応えた。
「なんで、だって?見りゃわかるさ。最近のキミを見てれば。」
言われて、アキラはそっぽを向いたが、その頬が微かに赤くなったのに、芦原は気付いた。
羨ましい。
「ちぇー、なーんだ、そうなのか。
なんだよ、だったらさっさとそう言えよ。オレだって心配してたんだからさあ。」
そういってひとしきりぼやいてから、芦原は笑って自分のジョッキをアキラのグラスにぶつけた。
「でも、よかったな。仲直りできて。うん。オレも嬉しいよ。」
「う、うん。ありがとう、芦原さん。」
照れたように言うアキラを見て、芦原は天井を見上げて溜息をついた。
「あーあ、羨ましいなあ〜。オレにもちょっとは幸せを分けてくれよ〜。
あ、でも、まだ緒方さんって仲間がいるか。ね?
それとも、もしかして緒方さんも裏切り者なんですかぁ?」
「オレか?どうせオレは振られたまんまさ。」
アキラがちらっと緒方を見て、それから何食わぬ顔でグラスを口元に運んだ。
その様子を目ざとく見つけて、芦原が訝しげに首を捻った。
「おまえ、もしかして、知ってるのか、緒方さんの事。」
「いえ、別に、ボクは…」
「ずるいぞ、緒方さんも、アキラも、オレだけ仲間外れにして。教えろよ、おい。」
「本当の話を聞きたいか?芦原。」
「聞きたいですよ。」
「実はな、こいつなんだ。オレを振ったとんでもない奴っていうのは。」
言いながら、緒方はアキラを目で指し示した。
(52)
緒方の台詞に、芦原も、アキラも目を丸くした。ことにアキラは、返す言葉がなかった。
いきなり、何を言い出すんだろう、芦原さんの前で、この人は。
だが緒方がニヤニヤしながらアキラを見ているのに気付いて、アキラは緒方の話にのる事にした。
「実は、そうなんです。」
にっと笑いながら、アキラが芦原に答えた。
「アーキラぁ、」
ふざけるのはよせよ、という風に、芦原がアキラを見る。
「緒方さんがおまえと付き合ってて、でもおまえが緒方さんをふったとでも言うのかよ?
ええ?それじゃ、喧嘩の原因になった浮気相手って言うのは緒方さんだって言うのか?
それならおまえの今の相手は誰なんだよ?」
「進藤ですよ。」
何食わぬ顔でアキラが答えた。
「進藤ォー?、おまえ、冗談とは言え、よくそんな名前、持ち出すな?
進藤が聞いたら怒るぞ!?」
「だって本当の事ですから。」
睨みつける芦原ににっこり笑いかけてアキラが続ける。
「本当ですよ。それにボクが進藤の事になるとタガが外れるのは芦原さんもご存知でしょ。」
「知ってるよ!!おまえが、昔っから進藤、進藤、ってあいつにはムキになってたのは!
でも、そうじゃなくって!今は女の話をしてるの!!ライバルじゃなくて、恋人!!誰だよ!?」
「だから進藤だって言ってるじゃないですか。
それに別にどうだっていい事でしょ。男だとか女だとか。ねぇ、緒方さん?」
「…そうだな。」
「緒方さん、あんた、いつから両刀になったんですか。え?」
「コイツの色香に惑わされてからかな。なあ、アキラくん?」
そう言いながらアキラの顎にかけた緒方の手を、アキラはパシッと軽く払った。
「馴れ馴れしく触んないで下さい。ボクに触っていいのは進藤だけなんですからね。」
「ずるいっ!汚いっ!二人して、オレをからかって…!
アキラ、おまえはいつからそんな人をからかって遊ぶようなヤツになったんだ!」
「ええー、別に、昔っからじゃないかなあ?」
「おまえっ、この間はオレが親切に相談に乗ってやって、しかも全部奢ってやったって言うのに、
その恩も忘れて…」
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