トーヤアキラの一日 51 - 55
(51)
喉まで出掛かる言葉を飲み込みながら、アキラの頭の中に、ヒカルがほんの少し前に
薄暗い部屋の中で見せた嬌態と、PCを見て強張らせた顔が交錯していた。
ヒカルの身体は敏感で、触れる所全てに驚くほど反応してアキラを酔わせた。
まるで人肌に接するのに慣れているかのように・・・・・。
───ま、まさか・・・・・キミとsaiは肌を触れ合わせるような関係だったのか?!
そう思いついた途端に、アキラは鳩尾で異物がざわめくのを感じて嘔気がして来た。
心拍数が上がり、握り締めた手が震えて来る。
───そんなはずはない・・・・経験があるようには思えなかった・・・・いや、自分に経験が
無いから分からないだけかも知れない・・・・経験があったとしても、相手は女性かもしれ
ない。saiは女性か?・・・・まさか・・・・それは考えにくい。それにキミは触れられる事に
敏感な気がする。経験があったとしても構わないが・・・・いや、キミに触れた事がある
人間が居るなんて考えたくない・・・・だが、もしそれがsaiだとすれば、今saiはどうして
いるのだろう?キミが手合いに出て来なかった事と関係があるのか?それ程親しい関係
なのか?進藤!!教えてくれ、saiとキミの関係を!!
アキラは考えれば考える程息苦しくなってくる。存在すらはっきりしない相手に、激しい
嫉妬を感じて心が千千に乱れ、さっき触れ合ったばかりのヒカルが信じられなくなり、
さらにそんな自分に自己嫌悪していた。
ヒカルを失うのが怖くて直接聞くことなど到底出来ない。
少しでもさっきの温もりを感じるために、アキラはヒカルの手を取りたかったが、
ヒカルは両手をポケットの中に入れており手を伸ばしただけでは触れる事が出来ない。
ヒカルが意識して手を隠している訳ではないと思っても、拒絶されたようで心がさらに
落ち込んでいく。
(52)
二人は殆ど会話をしないまま駅に着いた。
アキラが足を止めるとヒカルが振り向き、久し振りに視線を合わせた。アキラの顔を
見たヒカルは少したじろいでいるようだった。それだけ、アキラの表情は固く鬼気迫る
様相だったからだ。
それを感じたアキラは無理をして笑顔を作り、疑念を取り払った本当の気持ちを伝える。
「今日は来てくれて嬉しかった・・・・・」
そう言いながらヒカルの手に触れたくて腕を前に伸ばしかけるが、ヒカルはポケットに
手を入れたままでアキラの顔を見ている。笑顔のアキラの顔を見て、少しホッとした
ヒカルは真剣な表情で答える。
「うん・・・・・あのさ、塔矢・・・・・」
アキラの心拍数が激しく上がり表情も再び固くなる。
「何?進藤」
「・・・あ、いや、別に・・・・・じゃあ、またな」
と、言いながらヒカルは体を翻して足早に改札口に向かって行った。
その後姿は、さっき部屋で抱き締めていた人物とは別人のようで、アキラは無性に寂しく
切なく、結局ヒカルの何も手に入れられなかったような虚しさに襲われる。
ヒカルは振り向きもせず歩いて行く。背中のバッグだけが揺れながらアキラに手を振って
いるように見えて、思わず軽く手を上げてそれに応えた。
アキラの視界からヒカルが消えても暫く動かず、脳裏に浮かぶプラットフォームに立つ
ヒカルを見続けながら想う。
───キミを絶対に離さない、誰にも渡さない、誰にも触れさせない・・・キミの全てが
欲しい・・・キミの身も心も何もかも手に入れたい。
家に帰ったアキラはPCの前に座って暫く放心していた。
さっきまでこの部屋に居たヒカルの残り香を感じながら、今日の対局の事、緒方に浴びせ
かけられた言葉、そしてヒカルの事を考える。色々な事がありすぎて心の整理がつかない。
疲れていたからか、アキラはそのままウトウトと眠ってしまった。
(53)
目が覚めるとヒカルが側に立っていて、碁を打とうと誘ってくる。久し振りの対局に心を
躍らせて碁石を持って打ち始める。お互いに息もつかせず物凄い速さで打ち続け、
アキラがやや優勢の盤面で、ヒカルは大きな音をたてて黒石を打ち込んでくる。それは
見事な一手で百戦錬磨のsaiを思わせる打ち回しだ。驚いたアキラがヒカルの顔を見ると、
ヒカルは声を出して笑いながら立ち上がり『ヘヘヘ、じゃあ、またな塔矢。オレsaiの所に
行くから』と言って金色の前髪をなびかせて楽しそうに走っていく。『待て、進藤!対局は
終わってないぞ!待て!待ってくれ!』
アキラは机をドタッっと叩きながら「進藤!!」と叫び起き上がった。
───夢か・・・・・・・。
アキラはPCの電源を入れた。
目的は、ヒカルと肉体的にさらに深く結ばれるために、おぼろげな知識をさらに確実に
するためだ。
今まではその未知の行為にそれ程の意味があるとは思っていなかったのが事実だ。
最初は抱き締め合えば満たされると思っていたのに、キスをしても、素肌に触れても、
二人で慰めあっても、身体に渦巻く欲望は満たされ尽くす事は無かった。
もっとヒカルの乱れる姿が見たい、自分の名前を漏らしながら喘ぐ声が聞きたい、
ヒカルを自分の手で溺れさせたい、全てを知り尽くしたい。
ヒカルの心を全て掴もうと思っても、ヒカルは秘密を打ち開けてくれず壁を作っている。
それだけは今のアキラにはどうしようもない事が分かった以上、せめて肉体だけでもより
深く手に入れたいとアキラは強く思った。
(54)
全ての疑問が解けるまでアキラは真剣な表情でマウスをクリックし続け、検索し終わると
背もたれに体重を預けて深く溜息をついた。
果たしてヒカルがこの行為を受け入れてくれるだろうか?アキラは心身共に、ヒカルを
傷つける事は絶対にしたくないと思っていたが、ヒカルを手に入れたい想いは具体的な
知識を得た事でさらに強くなっていく。想像するだけで、さっきのお互いを慰め合う
行為で得た快感以上の火種が体に宿るのを感じて体が疼く。
アキラは再びマウスに手をかけて準備行動を起こし始めた。
PCに向かって夢中で棋譜整理をしていたアキラが、思い出したように時計を見ると、
すでに10時を回っていた。
───早く来ないかな・・・・・
そう思いながら今日の天気予報をチェックしているとチャイムが鳴った。
───!!来た!!
アキラは急いで印鑑と封筒を探すが、机の上に見当たらない。
───??あれ??何処だ?
アキラはアイスクリームをしまう時に台所に置き忘れて来た事を思い出して、慌てて
台所に向かう。その間もチャイムは鳴り続け、外から声がする。
「塔矢さ〜ん!山猫宅急便で〜す!」
台所に置いてあった印鑑と封筒を握り締めてアキラは玄関に向かって走るが、ピカピカに
磨かれた廊下で滑って転びそうになってしまう。
「塔矢さ〜ん!!」
「・・ハイ!!今行きます!」
と大声で返事をしながら、アキラはいつに無く慌てている自分が滑稽で思わず苦笑する。
(55)
玄関の戸を開けると配達員が伝票を見ながら事務的に話しかける。
「代金引換のお荷物です。えーっと、PC備品で、代金は9922円ですけど・・」
そう言いながらアキラの顔を見て確認を求める。
配達員は品物がPC備品だと思っており、本当の中身を知るわけが無いのに、アキラは
顔が紅潮するのが分かり、心拍数も上がって落ち着かない。
「あ、はい。これ・・・・代金です。9922円」
「はい、どーも。丁度ですね。認印もお願いします。はい、これが商品です」
と言ってアキラに商品を手渡した。アキラは受け取りながら印鑑を差し出す。
「はい、どーも。これが領収書になりますので」
配達員は印鑑と領収書を手渡すとすぐに門の外に消えて行った。
アキラは戸を閉めて鍵をかけると、荷物を大事そうに抱えて自室へと向かった。
開けられていた窓と障子を閉めて荷物を机の上に置く。
絶対に自分で受け取らなければいけない代金引換の荷物は初めてではないが、なぜか
今回は落ち着かない。外からでは中身が分からない事を箱の全体を眺め回して確かめて
から、ガムテープを丁寧に剥がした。
箱を開けると、空気を入れて膨らませた透明のクッションが沢山入っていた。
アキラはそれを掻き分けて手探りで中身を引っ張り出すと、ゼリータイプのローション
三本と透明のケースに入れられた品物が出て来た。
アキラは自分で頼んだにも拘らず、不思議そうな表情でその品物をじっと眺めた。
───何だかいやに輝いているな・・・・・一、二、三、四、五、六、七。・・・七個か。
アキラはパッケージを開けると、現物を手にした。
添え付けの電池を装填してスイッチを入れると、いきなり意外に大きな音がして驚いた。
スイッチを小から中に、中から大にすると大きな振動で手が震える。
これを使った時のヒカルの反応を想像すると、自然に顔が緩んで、夜が待ちきれなくなる。
|