無題 第2部 56
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―なんで、なんで逃げ出したんだ?塔矢だって、変に思うに違いない。
戻らなきゃ。戻って、普通に笑わなくちゃ。
非常階段の手すりに顔を伏せて、ヒカルは肩で荒く息をした。
心臓がドキドキいって止まらない。
顔が火照って熱い。
進藤、と、アキラが呼んだ声が頭の中でこだまする。
―どうして?どうして目を逸らした?どうして逃げた?
アイツの顔が、オレを見た時のあの顔が、あんまり眩しかったから。
そして、瞬時にアキラの顔が脳裏に蘇った。
ヒカルを認めた時の嬉しそうな笑顔。
それから、子供と話していた時の優しそうな横顔。
ずっと昔、自分を追ってきた時の真剣な眼差し。対局中のきびしい表情。
そして、この間の朝の、美しい寝顔。
朝の光に映える横顔。ヒカルの触れた手に真っ赤になっていたアキラ。
―どうしよう…どうしよう、オレ…
ヒカルの胸の高鳴りは収まらなかった。
―どうしよう…オレ、オレ…塔矢が好きだ……!
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