とびら 第六章 56 - 60


(56)
胸から足先まで、肌があらわになる。手は浴衣に袖を通したままだ。
本当にヒカルの身体は華奢だと、和谷は改めて思った。
しかし抱きしめるとわかる。その身体が決してもろいわけではないことが。
かたん、という音が耳に届き、和谷はヒカルの身体から目を離した。
アキラがボディソープを手に取って、それを泡立てていた。
滑らせるようにして泡をヒカルの身体に塗っていく。
その様子は献身的にも、逆にいやらしくも見えた。
ヒカルは相変わらずうっすらと目を開けたままだった。
和谷は手のひらでまぶたをふさごうとしたが、どうしても閉じさせることができない。
あきらめて視線をめぐらせると、シャンプーの容器が目についた。
アキラだけがヒカルに何かしているのは気に食わない。負けじとそれに手を伸ばした。
和谷はヒカルの髪を洗い出した。ヒカルの髪はやわらかく、指に引っ掛からない。
目に入らないよう注意しながら髪を洗ってやる。シャンプーの良い香りがただよう。
アキラはヒカルの足の指を開いて、マッサージをするような手つきで揉んでいる。
濡れた浴衣を自分たちも脱ぐ。水を含んだそれは重く、放るとべしゃっという音がした。
「進藤、聞こえてるか……?」
アキラのその声があまりにも不安そうなので、和谷ははっとした。
つきはなすようなことを言っていたくせに、やはりヒカルが心配で心細いのだ。
「進藤……」
アキラは泡のついたヒカルの手を握ると、自分の身体を撫でさせた。
だが手を離すと、すぐにそれは落ちた。
ため息をつくとアキラはシャワーを取り、温度を調節しながらヒカルにかけはじめた。
「……進藤がなにも言わないのは、つらいな」
流されていく泡を見ながらアキラはつぶやく。
和谷は心のなかでそれに同意した。こんなされるがままのヒカルは、見ていて苦しい。
普段がくるくると明るく表情を変える少年なだけに、なおさらそう思う。
だがそれは勝手な感情なのだ。
ヒカルを今の状態にしたのは、他ならぬ自分たちなのだから。


(57)
シャワーを流しっぱなしにしながら、自分たちも身体を洗いはじめた。
和谷は自分の身体に石けんをこすりつけながら、三人でしたことを思い返した。
アキラを交えてのセックスを可能にしたのは、以前アキラとしたことがあるからだろう。
その前にもアキラのペニスを弄ったことがある。
はたから見れば、自分とアキラはそれなりに関係を結んでいることになるかもしれない。
(……俺が塔矢を、塔矢も俺を、進藤ほどではなくても、好きだったら三人でつきあうって
選択もあったかもな)
しかし、あいにくと自分とアキラはお互いを嫌いあっている。
だからそれは現実にはありえないのだ。
まだヒカルはどこかをさまよっている目をしている。何を見ているのだろう。
しっかり目を開いたとき、自分を見てくれるだろうか――――
「進藤」
和谷はヒカルにおおいかぶさり、そのまま抱きしめた。石けんのぬめりが肌に心地よい。
目を閉じて、頬をすりつける。
ずっとこうしていたかったが、頭から水に切り替えたシャワーをアキラに浴びせられ、和谷
は悲鳴をあげてヒカルから離れた。
「冷っめてぇーな! 何すんだっ」
「進藤にひっつくな」
自分はアキラがヒカルに何をしても、文句を言わなかったというのに、ちょっと抱きしめた
くらいで水をかけてくるとは子供じみている。
(塔矢の独占欲はタチが悪いぜ)
だがそんなアキラに一つ感謝していることがあった。
最近の自分はヒカルに対して歯止めがきかなくなっていた。
まるで眠っていた獣を呼び覚まされたかのように。
無意識にあの夜が、ヒカルを散々に陵辱したあの夜が、脳裏をよぎる。
ヒカルが壊れてしまうかもしれないという恐怖。
しかし心とは違い、ヒカルのなかを犯すペニスの勢いがゆるまることはない。
和谷は自分のしていることにぞっとする。今日もそんな自分を意識した。
だがアキラがいたために、それが暴れ狂うことはなかった。


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ある意味で和谷は、アキラがいることに助けられたのだ。
それはとても悔しいことなのだが。
(けどだからって、こいつがいてほしいわけじゃないんだ。進藤が俺だけのものになったら、
きっとこのケモノも鎮まる。そして俺は進藤を誰よりも大事にするんだ)
手綱を握っているのは、ヒカルなのだ。だからどうか、離さないでほしい。
そんなふうに少し切なく思っている和谷に、アキラが無遠慮に声をかけてきた。
「もう一度入って、それから出よう」
アキラが和谷を誘うのは、自分ひとりではヒカルを連れて行けないからなのだろう。
きっと内心しぶしぶであろうと考えて、和谷は口元に思わず笑みをもらした。
「まさか、また湯のなかで進藤をヤルつもりじゃないだろうな」
「そんなことはしない」
和谷にとってそれは説得力などかけらもなかった。
だがとりあえず三人で湯につかった。先ほどの金泉ではなく、銀泉に入った。
銀泉とは無色透明の、いわゆる普通一般の温泉のことである。
「………………」
アキラと和谷は話さない。ヒカルはぼうっとしているので、とても静かだった。
ヒカルが正気だったら、はしゃいだ声がこの場に満ちて、アキラがいてもとても楽しかった
だろう。ヒカルのことだからきっと、湯船で泳ぎだすに決まっている。そして自分たちに水
をかけて、からかうように笑うのだ。
そんな想像をして自分を慰める。それは虚しくて、さびしいことだった。
ヒカルの指に触れると、それはもうふやけてしわになっていた。
「………………」
どちらからともなく上がり湯をかけて、ヒカルを支えながら脱衣所に向かった。
ヒカルをいすに座らせると、アキラは備えつけのバスタオルを何枚も抱え持ってきた。
それをヒカルの頭、肩、腰にとかけていく。そして一枚を取ると下肢から拭きはじめた。
和谷はドライヤーでヒカルの髪を乾かしていった。
いつも立っている黄色の前髪が、今は濡れて額にはりついている。
それが新鮮で、和谷は指でほつれをほぐしながら熱風をあてた。
和谷もアキラも自分たちのことなどそっちのけで、ヒカルの身を整えていった。


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だいたいヒカルの身体を乾かすと、アキラは風呂場へと戻っていった。
どうやら脱ぎ捨てたままの浴衣を拾いに行ったようだ。
あの浴衣の始末を自分がしなくてはいけないかと思っていたので、ありがたかった。
湯気でくもったガラスの向こうで、一生懸命しぼっているアキラが見えた。
なかなか絞りきることができず、苦戦しているようだ。
二人で端と端を持ってねじれば簡単に水を出すことができるだろう。
だが和谷にはもちろん手を貸すつもりなどなかった。
「……い……」
「進藤?」
ヒカルの唇が動いた気がした。何かをつぶやいている。
しかし耳をすませてもはっきりと聞き取ることができない。
和谷はそっとヒカルの唇を撫でた。そこはひどくぱさついていた。
飲料用の水を紙コップにそそぐとヒカルの口元にあてがった。
だがうまくいかず、水はあごを伝って首筋に落ちていった。
和谷は少し考えて自分の口に流し込むと、そのままヒカルの唇にそれを押し付けた。
ヒカルの喉がうごく。和谷は既視感に襲われた。
そう、あれは初めてキスを―――キスとそれ以上のことを―――した夜のことだ。
甘い香りと苦みが、口のなかに広がったような気がした。
紙コップが落ち、床に水がこぼれた。
和谷はしがみつくようにヒカルを抱きしめていた。
「頼むよ、進藤……俺を好きになってくれよ。おまえが好きなんだよ、進藤……」
語尾が震えている。鼻の奥が痛い。
「なあ、進藤。しん……っ」
込みあげてくる嗚咽を飲みこむ。好きだと泣いてわめきたかった。
ヒカルが欲しくてたまらない。いっそヒカルをさらって、どこかに行ってしまいたかった。
そんなことはできないと自分でもよくわかっているが。
「進藤……」
温かい身体を、指先と舌でたどっていく。ずっとこの身体を愛撫していたい。
自分はもうヒカル以外、誰も好きになれない。


(60)
和谷はヒカルの足を開いた。顔を近づけ、舌を入れる。石けんの味がした。
指も入れ、何度も抜き差しをする。ヒカルの感じるところをさぐる。
だがヒカルのそこは、何の変化も見られなかった。
いつもなら、それだけでは足りないというように締め付けてくるのに。
今のヒカルはまるで情欲をすべて灼き尽くされたかのようだ。
和谷は足を閉じさせた。下からそのうつろな顔を見上げる。
どうしてヒカルはずっとぼんやりしているのだろう。
ヒカルのなかには何が残っているのだろう。
開いたその瞳には何が映っているのだろう――――
疑問が次から次へと浮かんでくる。そしてその答えは一つも見つからない。
歯がゆくてしかたがない。こんなにも、ままならないものがあるとは知らなかった。
「ヒカル、ヒカル……」
その名を呼ぶ。和谷、と見つめ返してほしい。そんなささいなことが、叶えられない。
「ヒカ……」
「和谷」
望んでいたはずの言葉は後ろから聞こえてきた。
振り返ると、声と同じくらいきつい表情で和谷を見ているアキラがいた。
「あの上にある新しい浴衣をとってくれないか」
自分がヒカルにすがりつくように呼びかかけているのを見られた上に、命令するような口調
で言われ、和谷は不快感をあらわにして顔をしかめた。
「なんで俺が……」
「腕がしびれて伸ばせないんだ」
アキラはまだかなり水がしたたっている浴衣を、脱衣かごに投げ入れながら言う。
舌を小さく打つと、和谷はヒカルから離れた。
だから気付かなかった。


ヒカルのまつげが揺れ、涙が流れ落ちたことに。



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