失着点・展界編 57
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緒方にも聞こえたはずだった。だがその事について緒方は何も触れない。
「進藤」
ふいに緒方に呼びかけられ、ヒカルはハッとして顔を上げる。
「…SEXは怖いものじゃない。これは単なる手段だ。」
シャワーの湯が伝い落ちるヒカルの頬を優しく撫でながら緒方は話し掛ける。
「…たかがこんなものの為に、お前が傷付いたり苦しんだりする必要は
全くない。」
ヒカルは驚いたように目を見開いて緒方を見た。
「…お前の本当に大切な相手の人も、きっと分かってくれる…。」
頬を伝う熱いものが、シャワーのお湯なのか、そうでないものなのかは
分からなかったが、ヒカルは小さくコクンと頷いた。
「…緒方さん、キスしてよ。…優しいやつ。」
真直ぐ目を見て見つめて来るヒカルに、緒方は軽くキスをする。
「…キスを強請るのが上手くなったな…。大体、オレはいつでも優しいぞ。」
「だって…、…あんなことしたじゃん…。…オレ、死ぬかと思った。」
「…興奮しただろ。実はあの時冷静な振りして、オレもかなり興奮してた。
それくらいいいだろう。…傷の治療代だ。」
「…ひでエ医者…。」
ムスッとした表情になったヒカルの唇に緒方はもう一度優しくキスをする。
お互いクスッと笑いあう。そして緒方はヒカルを抱き締める。
「…今夜の事も忘れるんだ。いいな、…進藤…。」
返事をする代わりにヒカルも緒方の首に抱き着いた。肩を震わせてヒカルは
何度も頷き、おそらくもう二度と触れ合う事のない大きな胸の温かさを
自分の体に刻み込んだ。
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