平安幻想異聞録-異聞- 57 - 58
(57)
「痛かった?」
「ヒカルの痛みに比べれば、どうということはありません」
言いながら、佐為は昨晩のことを思い出す。
あの様なおぞましいものを、人にけしかけるなど正気の沙汰ではなかった。
あれをこの世に呼び込んだ人間は気が振れているに違いない。
そして、そんな気が違っているとしか思えない悪趣味なことを、正気のままで
出来る人間を佐為は知っていた。
異形のモノが去った後、体を丸めるようにうずくまって震えていたヒカルの
泣き声が耳について離れない。
――(やだ……やめて………お願いだから…、もう、………許して………)
あの、悲痛な声を聞いてしまえば佐為にだって容易に想像がつく。
あの下弦の月の夜、その者たちはきっと、そうやって泣いて許しを乞うヒカルの
体も心も踏みにじり、思う様傷つけたのだ。
(政争に負けた恨み辛みなら、私自身にぶつければよいものを!)
「佐為、眉間にしわ」
「えっ?」
佐為は、ふとすぐ横のヒカルをみた。ヒカルは佐為の顔を見上げて笑っていた。
「今、お前、すげぇ怖い顔してた」
「碁を打ってる時みたいに、ですか?」
佐為は、ヒカルによく『お前、碁を打ってるときの顔、すごい怖い』と言われるのを
思い出して切り返してみた。
「ううん。碁を打ってる時とは違うかな。碁を打ってるときのお前は
怖い顔してるけど、なんていうのかな、落ち着いてて綺麗だもん。
でも、今のお前の顔、怖かった。怒った目をしてた」
「気をつけます」
「別にいいけどさぁ」
そう言いながら、ヒカルは薄曇りの空を見上げる。今年最初の雁の群れが、
空をカギ型になって横切っていた。
実をいうと、ヒカルは少し嬉しかったのだ。
佐為が自分の為に怒ってくれているのはよくわかったていたし、何より
その事で自分は独りじゃないんだと、勇気付けられる気がしたからだ。
(58)
『蠱毒?!』
佐為とヒカルは、ふたり声をそろえて聞き返していた。
「えぇ、おそらく」
真夏に来ても、なぜかひんやりと冷たい賀茂アキラの部屋は、また、
どういうわけか、外がどんなに煩くてもその音が聞こえない様になっている。
「……って、何?」
ヒカルは、目をまたたかせて、アキラを見た。
「虫を使った呪の一種だよ。大きなツボにね、たくさんのムカデやヤスデといった
虫を閉じこめて埋めておくんだ。それが飢えて、暴れて、共食いしあって、
最後の1匹になるまで殺し合わせる。その全ての恨みを飲み込んで生き残った
最後の1匹の怨念を、呪いたい相手に差し向けるんだ」
「ムカデ……なんだ、あれ」
てっきり、あの蔦のような異形の正体は蛇かミミズみたいなモノの変化だと
思っていたが、どうやら違うらしい。そんなことがわかっても、ちっとも
嬉しくないけれど。
「蛇やミミズを使うこともあるよ」
アキラがヒカルの思考を拾ったように言った。
「あと、犬とか。犬の場合はね、こう首だけ出した状態で地面にうめるんだ。
で、口が届くか届かないかのところに餌をおいて、そのまま……」
「もういい……」
ヒカルがうんざりした顔で、アキラの言葉を止めた。
「先日のヒカルの傷もようやく癒えて、気の緩んだときにこのような。
姑息なことをする」
佐為が小さく怒りを込めてつぶやいた。アキラが答える。
「蠱毒とはそうしたものです。おそらく実際に仕掛けられたのは、
近衛が暴漢に襲われた夜でしょう。それから、虫達が殺し合い、喰らいあい、
怨念にまみれた最後の1匹にまでなったのが、おそらく昨晩。日数的には
ピタリとあいます。で、その異形はまだ滅びていないんですね、佐為殿」
「はい、アキラ殿の護符のおかげで、一度は退きましたが、おそらく根は
生きているでしょう」
「なるほど。佐為殿、今夜、近衛を僕に預けていただけないでしょうか?」
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